私が懸念しているのは、厚労省がホームページの中で20回にわたって繰り返している「人生の最終段階」というこのおだやかならぬ言葉が、一人歩きを始める近未来だ。

 たとえば、あるタイプの最新のがん治療薬は、投与1回分で数百万円と言われる高価な薬である一方で、ある確率で著効をあらわす夢の薬だとも言われている。

 とはいえ、仮に20%の患者に著効をあらわすのだとすれば、残りの80%の患者にとって、そのクスリに使われた金額(保険料も)は、結果として「無駄」ということになる。

 死の側から逆算すれば、治療にかかった薬価は、そのまま「浪費」ということにもなるだろう。

 一方、著効例で、延命効果があらわれたケースでも、それはそれで、「無駄」は生じる。

 というのも、高額な治療薬のおかげで延命がかなったのだとしても、患者は、延命期間中、その高額な治療薬を投与し続けなければならない(完全に治癒すれば、話はまた別だが)からだ。

 とすると、たった2回か3回でもびっくりするような金額を要するその治療薬を、延命した患者は何年間も投与し続けるわけで、これはかなりとてつもない出費になる。

 幸い、現在のわが国では、高額療養費制度のおかげで、薬価のかなりの部分は、国が負担してくれる。

 もっとも、お国ならびに厚労省は、続々と開発される高額な新薬の登場を横目に、高額療養費制度の存続をどうやら疑問視しはじめている。実際、2カ月ほど前だったか、NHKのニュース解説に出てきた解説委員のおじさんは、高額療養費の国庫負担が限界を超えつつあることについて、極めて厚労省寄りの見解を述べていた。

 なんということだ。

 近い将来、最新の薬による延命は、富裕層の特権になるかもしれないわけだ。

 話を整理しよう。

 薬が効いて延命が実現したのだとして、その人間の生は、他人から見れば、たぶん「人生の最終段階」にすぎない。

 あるいは、ネオリベ的な経済合理性の割り算で考えると、特定個人のそれぞれの延命は、その人間の残りの人生が薬価を費やすに足る価値を持っているかどうかを勘案しつつ、それぞれ個別に審査しないといけないってな話になる。

 若くて生産性があって人望があって能力の高い人間の人生は、何千万円かけても延命させる価値を持っている。

 一方、延命したところで飯を食ったり寝たり考え事をしたり不機嫌に黙り込んでいたりするだけの年寄りの人生は、たとえ何百万円でなんとかなるのだとしても、あえて延命するには足りないということになる。

 いずれにせよ、他人に決められるのはごめんだ。

 なので、会議には誰も招集しない。

 あしからず。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

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 「ア・ピース・オブ・警句」連載中の人気コラムニスト、小田嶋隆。電通を飛び出して広告クリエイティブ企画会社「TUGBOAT(タグボート)」を作ったクリエイティブディレクター、岡康道。二人は高校の同級生です。

 同じ時代を過ごし、人生にとって最も苦しい「五十路」を越えてきた人生の達人二人と、切れ者女子ジャーナリスト、清野由美による愛のツッコミ。三人の会話は、懐かしのテレビ番組や音楽、学生時代のおバカな思い出などを切り口に、いつの間にか人生の諸問題の深淵に迫ります。絵本『築地市場』で第63回産経児童出版文化賞大賞を受賞した、モリナガ・ヨウ氏のイラストも楽しい。

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