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 彼らは、しばしば責任という言葉を口にするものの、実のところ、
 「責任なんていうのは、しくじった権力者を別の権力者が追い落とす時に使う棍棒に過ぎないのであって、現実に権力を持っている人間はそんな言葉は使わない」

 という程度にしか考えていない。というよりも、彼らにとって「責任」という言葉は、権力を持っていない人間が権力を語る時の皮肉な用法以上の言葉ではないのだろう。

 この話題に関しての二階幹事長の反応は、政権の本音を見事に代弁している点で貴重だ。

 「議員が選挙区の皆さんに配慮するのは当然だ」

 と、二階さんは言っている。

 さらに、党の議員に割り当てられていたと言われる招待「枠」の存在についても、
 「それはあったって別にいいんじゃないですか。特別問題になることがありますか」

 と、逆に記者団を問い詰めている。

 なんと堂々たる正面突破の居直りではないか。

 記者諸君が黙ってしまったようなので、私が代わりにお答えしておく。

 議員が選挙区の皆さんに配慮するのは当然なのだとして、その「配慮」は、政策の実現や、議員としての政治活動を通して報いられるべきものだ。

 仮に政治家が選挙区の住民に分かち与える「配慮」が、物理的な金品であった場合には、議員個人が公職選挙法で告発されることになる。あるいは、自腹の金品ではなくて、政府主催の宴会への招待状や、その宴会の席で供される飲食や配布される記念品を介して、政治家が選挙区の人間の期待に応えたのだとすると、問題はさらに深刻になる。議員は、行政の私物化を追及されることになるはずだ。

 冒頭で、この話題が、せいぜい1週間しかもたないだろうという見込みをお知らせしたのだが、正直なところを申し上げるに、私自身、そこまで早々と絶望しているわけではない。

 ただ、これほどまでにあからさまに現政権の体質を明らかにしているこの案件が、本当に1週間程度の小ネタとして忘れ去られるのだとしたら、いよいよこの国の政治は、行くところまで行くしかないのだろうなとは思っている。まあ、来週になれば分かることだが。

 今回の騒動の一連の経緯を振り返ってつくづく感じ入るのは、報道などでしきりに言われている「行政の私物化」という論点もさることながら、なにより、われわれの政府が、「情報」「文書」「記録」「データ」を、アタマから軽視しにかかっている、その「事実」軽視の態度の有害さについてだ。

 歴史を直視せず、それを自分たちにとって都合の良い妄想で代置しようとする態度のことを「歴史修正主義」と言い、そういう人たちのことを「歴史修正主義者」(リビジョニスト)と呼ぶのだそうだが、現政権の中枢には、たった半年前の記録さえ破棄したと言い張り、いま現在目の前で起こっている事実すら認めようとしない人たちが席を占めている。彼らは、議事録を作っていないと言い張り、面会記録さえその日のうちに廃棄したと主張する。そうまでして自分たちの足跡を消そうとする人々を、どうやって信用することができるだろうか。

 時系列に沿って振り返ってみると、菅官房長官は、この「桜を見る会」をめぐる問題が国会答弁の中で取り上げられた当初(11月11日)の段階では、
 「問題ない」

 と明言している。タカをくくっていたのだと思う。

 翌12日の衆院本会議で、招待者の名簿を開示することを求められると、今度は
 「招待者名簿については会の終了をもって使用目的を終えることに加え、これを全て保存すれば、個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理する必要が生じることもあり、終了後、遅滞なく廃棄する取り扱いと承知をしてます」

 と、いけ図々しくも例によって型通りに「廃棄」した旨の答弁を繰り返している。