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 今回は、「桜を見る会」の話をするつもりでいる。

 このあまりにもベタで生煮えな話題を、あえていま騒動の渦中にあるタイミングでまな板に載せることにした理由は、私自身が「桜を見る会」まわりの問題を重視しているからというよりは、いまのうちに取り上げておかないと、来週の今頃にはすっかり風化しているだろうと考えたからだ。

 桜は満開から3日後には早くも散り始める。この種の話題は、風化が早い。

 そう判断したからこそ、官邸は中止の決断を急いだのだろう。

 「なあに、さっさとテントを畳んで撤収すれば、じきにいつまでも跡地で騒いでいる連中の方が間抜けに見えるようになる」

 という判断だ。

 そして、その彼らの判断は、おそらく間違っていない。

 メディアは3日で飽きるだろうし、野党が粘ったところで国民の関心はどうせ1週間ももたない。われわれは匙を投げるだろう。

 「やめるって言ってるんだからもういいじゃないか」

 と、そういう空気が漂って、それでじきに沙汰やみになる。

 だから、今のうちに騒いでおく。

 というよりも、騒いだ証拠を文字として残しておこうと考えている。

 いずれ、ここに書いたことが役に立つ日がやってくるかもしれないからだ。

 やってこないのだとしたら、それはそれで仕方がない。自分たちの国をそういう国にしてしまった責任を噛みしめつつ、余生をやり過ごすことにしよう。

 桜が1週間で散るのは、われら日本人が飽きっぽいからだ。

 それほど、この国で暮らす人々の思考は持久力を欠いている。

 というよりも、たったの1週間で跡形もなく消えてなくなるからこそ、桜は、日本人にこれほど愛されている、と、この話題は、そういう方向で考えるべきタームであるのかもしれない。

 とにかく、この種のニュースは、熱のさめないうちに調理するに限る。

 味は問題ではない。舌なりノドなりに火傷を負わすことができれば、とりあえずは上出来だ。

 総理大臣主催の「桜を見る会」が、年を追って麗々しいイベントに変質しつつあるという話を聞かせてくれたのは、昨年の春、さる知り合いの葬儀の折に久しぶりに会った年配の編集者だった。

 なるほど、と、感心しながら耳を傾けた。誰なにがしは数年前からの常連で、今年は誰と誰が新たなメンバーとして呼ばれているとか、総理と同じフレームに写った写真をしきりに公開しているのが、おもにどの方面の人間であるのだとかいった、彼の分析は、詳細かつ的確だった。

 「いや。恐れ入りました。どうしてまた総理の花見会なんかに詳しいんですか?」
 「相変わらず痛いところを突いてくるねえ。要するに私は、昼間っからバカなワイドショーを見てる役立たずの年寄りになったということです。なさけない話です」

 などと笑い合いながら、話題は毎度おなじみの出版不況の行く末に落ち着いていったわけなのだが、それはまた別の話だ。