その素人のお遊びを完成形の作品に結実させて世間の評価をひっくり返すに至った画期的な書籍が、あの見事な『倫敦巴里』だったわけで、あれを見て勇気を鼓舞された若者は、無論のこと、私だけではなかった。日本中の夢多き中高生やくすぶっている大学生が、あの本を見て、

 「おい、オレもやれるぞ」

 と思ったはずなのだ。

 極言すればだが、1980年代に花開く「サブカル」の種子は、実に、1977年に和田誠が『倫敦巴里』を世に問うた時に、全国津々浦々にまかれていたということだ。

 私自身、もし『倫敦巴里』を読んでいなかったら、自分が本を書く人間になることを想像すらしなかったはずだ。

 それまで、本を出すのは、小説を書く人間に限られていた。小説以外の文章は、言ってみれば「色物」みたいなもので、そんなものは、小説家が「余技」として取り組めば十分だ、と、少なくとも私はそう思い込んでいた。それゆえ、小説を書くつもりも才能も持っていない自分のような者は、書籍の出版とは一生涯縁のない人間なのだと、20歳になるまでは完全にそう思い込んでいた。

 その思い込みを、洒脱な魔法とともに解除してくれたのは、あの素晴らしい『倫敦巴里』の自在さだった。

 和田誠さんは、自分自身をPRすることに長けた人ではなかった。

 私が残念に思っているのは、ここのところだ。

 和田さんに、もっと積極的な自己アピールを心がけてほしかったという意味ではない。

 私が言いたいのは、和田誠さんのような、自己プロデュースに熱心でないクリエーターについて、作品本位で高く評価するメディアがもっと積極的に情報発信すべきだということだ。

 いったいに、現代の商業メディアは、作品を制作している人間を遇するに当たって、クリエーター本人の「キャラクター」を消費する以外の術をあまりにも知らない。このことを、私は大変に残念な傾向だと考えている。

 和田誠さんが、単にシャイな性格で、それゆえ人前に出ることを好まなかったのか、あるいは、作品で勝負すべきクリエーターが自己宣伝に労力を割く態度に反発を感じていて、それで、あえてメディアへの露出を避けていたのか、詳しいところは私には分からない。いずれにせよ、和田さんは、ほとんどまったく自分の顔やナマのしゃべりや、私生活上のエピソードを商業メディアに提供することをしない人だった。

 引き比べて、1980年代以降に世に出たクリエーターは、おしなべて自己アピールの上手な人が多い。

 というよりも、時代が進めば進むほど、作品が作品として評価されることよりも、作者の知名度が作品のオーラを高めるカタチで売り上げを伸ばしていくケースが目立つようになってきている。もう少し露骨な言い方をすれば、この国のエンターテインメント市場は、作品を売ることよりも、自分の名前を売ることに熱心な表現者が勝利をおさめる場所になってしまったということだ。