もちろん、東京の片隅にある高校のそのまた教室の片隅で密かにやり取りされていた稚拙な文体模写ごっこを、当時の和田誠さんが知っていたはずもなければ、パクる理由も必要も必然性もない。当然だ。が、それでもなお、20歳の私が

 「ああ、やられた」

 と思った可能性はあるのだ。

 くすぶっている20歳は、自分に似た優越者を見るたびに
 「やられた」
 と思う。

 まして、くすぶっている上に思い上がっている20歳は、手の届かない場所にある果実を見れば、必ずや
 「あれはオレが取り逃がしたリンゴだ」

 という風に考えるものなのである。

 もっとも、「やられた」と思う一方で、私は、
 「こういうものが評判を取っているということは、オレのやってきたこともそうそう捨てたもんじゃないってことで、つまり、オレも案外この分野でやっていけないわけでもないんではなかろうか」

 とも感じていた。この時のこの感慨は、今でもありありと思い出すことができる。実際、私は、あの本に大いに勇気づけられた。このことについては、どれほど感謝しても足りないと思っている。

 『倫敦巴里』以前は、面白随筆であれ冗談企画であれ、「笑い」に足場を置いた作品を書籍として出版するのは、いわゆる「文壇」の中にいる一握りの人々に限られていた。『倫敦巴里』が刊行された77年以前に文体模写や「もし◯◯が××だったら」式の「IF」を題材としたお笑い企画が存在していなかったわけではないが、それらは、もっぱら雑誌の読者投稿コーナーや深夜ラジオの投稿はがき企画として一部で盛り上がっているに過ぎない、いわば「素人企画」だった。