私の頑迷な記憶の中では、私が和田誠さんの『倫敦巴里』を読んだのは高校時代の話ということになっている。

 ところが、Wikipediaを見ると、『倫敦巴里』の出版は、77年だ。ということは、私はすでに大学に進んでいる。年齢で言えば、20歳だ。

 どうしてこんな偽の記憶が育ったのだろうか。

 想像するに、私は、『倫敦巴里』を初めて見た時、

 「これこそ自分がやるはずの仕事だった」

 と思ったはずで、その強い思いが記憶をゆがめたのだろう。このセンは大いにあり得る。

 というのも、『倫敦巴里』の中で展開されていた文体模写やおとぎ話の翻案ネタは、まさに私自身が高校時代に夢中になって取り組んでいたことだったからだ。

 で、自分がやっていたそれらのお遊びのおふざけを、プロのクリエーターがプロの作品として世に問うた初めての書籍が『倫敦巴里』だったわけで、それゆえ、作品そのものの素晴らしさへの賛嘆の念はともかくとして、私が

 「ああ、先を越された」

 と生意気にもそう考えたであろうことは容易に想像できる。

 自信を持てない一方で思い上がった若者でもあった20歳のオダジマは

 「おい、これはオレが高校生の時からやってた遊びだぞ」
 「パクリじゃないか」

 と考えた可能性さえある。