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 和田誠さんが亡くなった。

 どう言ってよいのやら、適切な言葉が見つからない。

 この20年ほどは、メディアを通じて配信される記事や報道の中で、お名前を見かける機会がなくなっていた。それゆえ、私自身、和田誠さんのことを思い出さなくなって久しい。私は、忘れてはいけない人の名前とその作品を、本当に長い間、思い出すことさえせずに暮らしていた。何ということだろう。

 訃報に触れて、あれこれ考えるに、自分がいかにこの人の作品から多大な影響と恩恵を受けていたのかを、あらためて思い知らされている。今回は、そのことを書く。

 テレビや新聞の回顧報道を眺めながら、その回顧のされ方に時間の残酷さを感じることは、誰の訃報に触れる場合でも、毎度必ず起こる反応ではあるのだが、今回の和田誠さんの業績のまとめられ方には、ことのほか大きな違和感を覚えている。

 何より、扱いが小さすぎる。

 誰の訃報と比べてどんな風に小さいという話ではない。

 和田誠という人が残した仕事の量と質と範囲の広さと、それらの作品を生み出した才能の非凡さに比べて、その死の扱われ方が、あまりにも軽く感じられるということだ。

 私が和田誠という名前を初めて知ったのは、たぶん1977年のことだ。

 「たぶん」という言い方をしているのは、訃報を知ってから検索やら何やらでかき集めた情報と、アタマの中に記憶として残っている知識の間に、かなり深刻な食い違いがあることが判明して、我がことながら、自分の記憶が信じられなくなっているからだ。