(3)もひどい。なにがひどいといって、「意識調査」と言いつつ、一般の商業施設や沿道のビルに、冷房の無料提供を求めている姿勢がどうにも凶悪すぎる。戦前の「供出」(金属類回収令)から一歩たりとも進歩していない。

 念の為に申せばだが、そもそもエアコンの冷気は、閉じられた空間にだからこそ成立している一時的かつ暫定的な「寒暖差」にすぎない。エアコンというあのマシンは、特定の閉鎖空間の気温を冷やすために、別の空間に向けて暖気を排出せねばならない。つまり、空間Aと空間Bの間に一定の「温度差」を作ることがエアコンの機能なのであって、より大きな空間である街路全体や地球そのものを冷やすことは、彼の任務ではない。そんな無茶な仕事はマックスウェルの悪魔にだってできやしない。というよりも、熱力学の第二法則がこの世にある限り、マラソンコースの沿道をまるごと冷やすことは不可能なのだ。

 ……と、いくら私が口を酸っぱくして五輪組織委の暑さ対策の愚かさを指摘しても、一部の人たちの耳には永遠に届かないことは、はじめからわかっている。その理由もよくわかっている。

 つまり、私が
 「無駄だ」
 と言っても、彼らが耳を傾けないのは、彼らが注目しているポイントが
 「有効であるかどうか」
 ではないからなのだ。というのも、あるタイプの日本人(あるいは「多くの日本人」と言った方が良いのかもしれない)は、アイデアや計画の
 「有効性」

 「実効性」
 を重視しないからだ。彼らがなによりも大切にしているのは、
 「みんなが心をひとつにすること」
 や、
 「とにかく全力を尽くすこと」
 だったりする。

 今回の暑さ対策においても、その実施に向けて頭を絞り、カラダを使い、みんなで話し合っている人たちがなにより意識しているのは、
 「いかにして気温を下げるのか」
 でもなければ、
 「どうやってアスリートや観客が快適に過ごせる環境を確保するのか」
 でもなくて、どちらかといえば、
 「自分たちはどんなふうに貢献することができるのか」
 ということであり、最終的には
 「大会が終わったときに、どれほどの達成感を得ることができるのか」
 ということだったりする。

 これは、「おもてなし精神」が標榜するものが「顧客満足度」ではなくて「接客業者の自己実現」だったりしているのと同じ構造の話だ。また、70年前に惨敗したうちの国の軍隊を動かしていた駆動原理が「いかにして敵に勝利するのか」ではなくて「軍隊内の同僚や銃後の国民の目から見てどれほど必死に戦っているように見えるのか」であったことと良く似た話でもある。