(3)《―略― 2年後の東京オリンピックで課題になる猛暑への対策につなげようと、陸上のマラソンコースとなる東京 日本橋で、冷房の効いた店舗を開放する「クールシェア」についての意識調査が行われました。
大会の組織委員会は、観客への猛暑対策が特に必要な競技の1つに陸上のマラソンを挙げており、
スタート時刻を午前7時にするとともに、コース沿いの店舗やビルで冷房の効いた1階部分などを
開放してもらう「クールシェア」の取り組みを活用する方針です。―略―》

 いちいちツッコむのも面倒なのだが、こういうネタを見つけたら、面倒がらずにいちいちツッコんでおかないといけない。なんとなれば、ベタなツッコミどころに義理堅くツッコんでおくことこそが、コラムニストの義務であり、ひいては、コモンセンスをコモンセンスたらしめるための生命線でもあるからだ。

 まず(1)の朝顔の鉢植えだが、「視覚的に涼しい」とかいった類のおためごかしの御託は、できれば身内の中だけの話にしておいてほしかった。そんな提供側の独善やら思い込みは、間違っても報道を含めた外部の人間に語り聞かせて良い話ではない。言語道断である。

 ついでに言えばだが、この「おためごかし」の態度は、もてなす側の人間が「お・も・て・な・し」などという自家中毒じみた自分語りを誇示して恥じない、今回の五輪招致イベント以来の五輪組織委の根本姿勢に通底しているもので、サービス提供側が自分たちの美意識に酔って勘違いをしている意味で、あるタイプの懐石料理屋のひとりよがり演出と区別がつかない。客は刺し身のツマを食いにきているわけではない。飾り包丁の技巧の冴えなんぞで刺し身が腐っている事実を隠蔽することはできない。

 次に(2)のかち割り氷だが、これについては、くだくだしい議論は不要だ。「論外」という二文字をぶつけておけばそれで足りる。記事を読んでいて気になるのは、たとえば
 《給水所に新たに置いた氷を選手たちが使う姿がみられるなど、組織委は一定の手応えを実感。》

 という一文だ。「実感」の主体が「組織委」だというのは、やはり奇妙だ。

 「記者の取材に対して、組織委員会の委員の一人は、かち割り氷の効果について一定の手応えを実感した旨を語った」

 ということなのかもしれないが、それにしても、雑な体言止めだ。で、最後は
 《小池百合子知事は、芝公園で暑さ対策を視察。冷却グッズを試すなどして効果を確かめ、「いかにして太陽の日差しを遮るかが大きなポイント。五輪まであと1年を切っている。数値を分析して、ベストな暑さ対策を進めていく」と強調した。
 レース後、組織委の担当者は「選手の意見などを踏まえて、継続して暑さ対策について議論していく」と力を込めた。》

 と、「と力を込めた」という工夫のない常套句で締めくくっている。

 こういう記事を見ていると、われわれが心配せねばならないのは、しょせんは一回性のイベントに過ぎない五輪の成否などではなくて、むしろ大量の五輪報道を通じて記事の質の劣化を気にしなくなっているマスメディアの機能不全の方なのかもしれない。