しかしながら、無料のウェブメディアに文字情報の形でアップされた特定個人の病名は、あらゆる個人情報がそうであるように、いずれ、文脈から切り離されたデータとして野放図に拡散する宿命のうちにある。その「娯楽情報」は、悪意ある第三者を含む不特定多数の群衆にとっての、格好の玩具に成り果てる。このなりゆきは誰にも阻止できない。
「病名」は、どんな人間のどんな病名であれ、ちょっとした誇張を施すだけで、特定の人間の悲惨な未来を示唆する凶悪な情報に変貌させることが可能だ。
ということになれば、悪意ある人間は、その誇張した部分によって引き起こされる騒動から利益を得ようと考えるはずだし、特段の悪意を持っていない人々も、ひとたび群れ集まって行動する段になると、他人の生老病死を玩弄するゲームへの熱中を制御できない。
とすれば、個人の病名を公共の場で公開するような愚かなマネは、絶対に避けなければならない。
さて、私が執筆意欲を半ば喪失していた理由は、体調と病名以外に、もう一つある。
それは、ツイッター上の些細なやりとりの中で頂戴することになった
「偉いコラムニスト様」
というレッテルだ。
これは、こたえた。
この言葉を浴びせられた瞬間から10日間ほど、私は、すっかり意気阻喪してしまった。
もともと体調がすぐれなかった事情もあるといえばあるのだが、ほかならぬ同業者から
「偉いコラムニスト様にはわからないのでしょうが」
みたいな言い方をされてみると、なんだか、マジメに仕事に戻る気持ちになれなかったのだ。
私がこの言葉に気力をくじかれた理由のうちの半分までは、この
「偉いコラムニスト様」
という言い方の示唆する内容が、図星だったからだと思う。
実際、私のやっている仕事は、ある立場の書き手からすれば、
「偉いコラムニスト様」
と形容するにふさわしい、お気楽な書き飛ばし仕事に見えているはずだ。
というのも、コラムニストの仕事は、「取材」や「文献渉猟」や「研究」を伴わない、「個人の感想」にすぎないと言ってしまえばそれまでの、「腕一本の安易な作文」だからだ。
私の立場からすれば、自分の書き方で書くほかにどうしようもないという、それだけの話ではあるのだが、一方、私とは違うタイプの書き手から見ると、オダジマの書き方と仕事ぶりは、まるで「地を這う取材みたいなヨゴレ仕事を軽蔑している貴族の書きっぷり」に見えている可能性はある。
実際、ツイッター上で、
「それ、あなたの感想ですよね」
という定番のツッコミ(←2ちゃんねる創設者であるH氏がこの言葉を発しているテロップ付きの静止画コミのリプライも含めて)を投げつけられた回数は、おそらく何百回を数える。
それほど、コラムニストの「感想」は、軽んじられている。
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