してみると、署名原稿に発生するギャランティーは、そうした回避できないリスクに対して支払われていると考えることも可能なわけで、そこからさかのぼって考えるに、原稿を書く作業が苦しみを伴わない可能性は、原理的にあり得ない話だということだ。

 今回は、当欄の原稿が3回にわたって掲載されなかった事情を説明しつつ、この際なので、ライターが原稿を書くことの意味について考えてみようかと思っている。

 時事的なニュースにいっちょかみをすれば、ネタはいくらでもある。そういう書き方に意義や正当性がないと考えているわけでもないのだが、今回はとりあえず、世間を騒がせている話題からは距離を置いて、自分の仕事について考えることを優先したい。

 あらためて振り返ってみるに、一カ月近くまとまった原稿を書かずに過ごしたことは、私の人生の中では、何十年ぶりの経験ということになる。これだけ長い間、執筆という作業から遠ざかってみると、かえって書くことについて考えさせられる。

 で、意外だったのは、自分にとって「書かない生活」が予期していたよりはずっと重苦しい時間だったということだ。

 カンの鋭い読者はすでにある程度見当をつけておいでだと思うのだが、お察しの通り、私は、7月の半ばからしばらくの間、入退院を繰り返していた。

 その、今回の入退院をめぐるあれこれは、4月上旬に脳梗塞を発症して以来続いているすったもんだの一部でもある。

 より詳しく述べれば、4月の脳梗塞での入院中に発覚したある異変が、以来、断続的な60日間ほどの入院やら検査を呼び寄せていたわけだ。

 で、7月の下旬に至って、さまざまな検査や二度にわたる手術を伴う生検の結果、ついに原疾患と見られる病名を特定するところにこぎつけた次第だ。

 8月中の当連載の中断は、その新たに判明した疾患の治療が本格的に始まったことを受けてのものだ。

 当然、治療は今後も続くことになる。

 が、この治療がいつまで続くのか、先のことは分からない。

 治るのかどうかも、当面は分からないというのが適切な言い方になると思う。

 で、肝心要のその「病名」なのだが、私は、それを明らかにしないつもりだ。

 理由は、ありていに言えば、読者(というよりも、インターネット上の無料メディア経由で拡散した情報をやり取りしている不特定多数の見物人たち)を信頼していないからだ。

 私に関して、仮に、「ずっと昔からの忠良な読者」といったような人々が存在しているのだとすれば、その彼らは、どんな病名を知らされたところで、適切な対応を取ることができる人たちであるはずだ。このことに関して、私は疑いを持っていない。また、通りすがりの読者であっても、人としての当たり前の常識を備えた穏当な人間であれば、他人の病気に対して特別に奇妙な反応の仕方はしないだろう。このこともよく分かっている。