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 思うに、吉本興業をめぐる話題の背景には、テレビを愚劣な雑談箱に変貌させてしまったテレビ局と視聴者の共犯関係が介在している。

 テレビ番組を企画制作している放送局の人間たちと、その番組を大喜びで享受している視聴者諸兄が同じように腐っているのでなければ、いかな吉本興業とて単独であそこまで腐ることはできないはずだ。

 実態に即して考えるなら、制作側があの程度のコンテンツを一日中垂れ流している限りにおいて、MC役にはノリの良いチンピラがふさわしいわけで、だとしたら、今回のエピソードのメインの筋立ては、はじめから、清潔であるべきテレビ番組進行役のタレントが、半グレの宴会に参加していたというお話ではない。むしろ、ヤンキー連中が得意とする下世話な仲間受けのイキった対話術を、大学出のテレビ業界人が、スタジオ活性化目的で利用してきたことの必然的な結果が、今回の一連の騒動であったのだと考えなければならない。

 なので、吉本興業と「反社」(←昨今の商業メディアが右へならえで採用している、「反社」というこの略称自体が、明らかに腰の引けた婉曲表現で、要するに、彼らは暴力団ならびに半グレを真正面から名指しにする事態を避けて通りたいと考えているのである)の関わりについて、これ以上の言及は控える。

 芸人と事務所の関係についても、一日中テレビがわんわん騒いでいるのと同じ切り口で重ねて何かを言うつもりはない。

 というのも、誰かの食べ残しを食べた人間のそのまた吐き戻しみたいな話題を、もう一度つつきまわす理由は、少なくとも活字の世界で渡世をしている私の側には、ひとっかけらもありゃしないからだ。

 ここでは「家族」の話をしたい。

 例の会見の中で、吉本の岡本社長は、とりたてて鋭い質問を浴びせられていたわけでもないのに、自分で勝手に墓穴を掘っていた。そして、自分で掘ったその墓穴を埋めるべく、「家族」という言葉を持ち出していた。

 なんと愚かな弁解だろうと、当初、私はそう思ったものなのだが、現時点であらためて考えるに、岡本社長が苦しまぎれに持ち出した「家族」という、あの手垢ベカベカの陳腐な物語は、あれまあびっくり、一定の効果を発揮している。

 というのも、私自身はほとんどまったく説得されなかったものの、あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる。

「家族だしな」
「家族なんだからしょうがないよなあ」
「理屈じゃないよね」
「そりゃ、家族なんだし、理屈なんか関係ないだろ」
「トラブルはトラブルとして、食い違いは食い違いとして、とにかく、家族なのだから、そういうものを乗り越えて絆を強めていけばいいんじゃないかな」
「そうだよね。雨降って地固まるって言うし、家族にとってはもめごとこそが絆だよね」
「傷が絆になるんだよ。傷を負った者同士だから優しくなれるんだよね」

 ああ気持ちが悪い。