
投票日も近いことなので、今回は選挙関連の話をする。
この話題は、おそらく荒れるだろう。
もちろん、読者の圧倒的多数が、黙って読んでくれる穏当な人たちであることは承知している。
ただ、インターネット上に公開されたテキストを取り巻く空気は、ごく少数の「声の大きい人たち」が作り上げる決まりになっている。であるから、揮発性の高い選挙の話題を含む文章は、毎度のことながら、あっという間に炎上する。そういうことになっている。
選挙の場合とは逆だ。
どういうことなのかというと、選挙の結果を左右しているのは、熱心な政党支持者による個々の一票であるよりは、むしろ最大多数を占める「投票に行かない人たち」の「投じられなかった票」だったりするということだ。それゆえ、皮肉なことだが、21世紀に入ってからこっちの、投票率が頭打ちの状況にあるわが国の選挙の結果は、「投票所にやって来なかった人たち」の巨大な沈黙を反映して、毎度毎度、「声のデカい人々」の蛮声を増幅する結果に落着している。
すぐ上のパラグラフは、ちょっとわかりにくい書き方になっている。
言い直してみる。
私は
「投票に行かない最大多数の有権者による声なき声が世界を動かしている」
と言いたかったのではない。
逆だ。私が強調したいと思っているのは
「投票に行かない最大勢力である無党派層という人々の巨大な沈黙が、必ず投票に行く少数の極端な考えを抱いた人々の声を過度に強調する結果をもたらしている」
ということで、つまりこの話のキモは、
「黙っていると、短絡的で声のデカい少数派の好きなようにされてしまうよ」
というところにある。
ただ、この話をあんまりくどくどと繰り返すのは得策ではない。
というのも、政治に対してシラけた気持ちを抱いている若い人たちは、選挙の度に繰り返される年長者によるおためごかしの説教にうんざりしているはずだからだ。
先週の今頃、以下のようなツイート
を放流した。
《若い人たちに投票を促すのに
「説教」(君らのためなんだぞ)
「脅迫」(行かないとひどいことになるぞ)
「挑発」(老人の天下になっても良いわけだな?)
的なツイートを発信する人たちがいますが、どれも「若者は現状を把握できていない」と決めつけている点で失礼だし、逆効果だと思います。6:46 - 2019年7月10日》
若年層の投票率が長らく伸び悩んでいることの背景には、選挙の度にインターネット上の画面を埋め尽くす「激越な言葉」に対する、あらかじめの疲労感がある。
もう少し丁寧な言い方をすれば、令和の日本人が政治の話題を嫌うのは、政治そのものを忌避しているからというよりは、「論争的な場所に関与せねばならない機会」を何よりも恐れているからだということでもある。
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