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 全共闘世代が大学生だった時代は、大学のキャンパスがまるごと政治運動の波に呑まれた政治の時代だったと言われている。

 私は、彼らから見て10年ほど年少の世代だ。

 一般的には、全共闘による政治運動が一段落して、キャンパスに空白と虚脱が広がっていた時代の学生だったということになる。

 その、世間からは「シラケ世代」と言われた私たちの時代でも、政治は、依然としてキャンパスを歩き回る学生にとっての主要な話題のひとつだった。

 ただ、この点は40歳以下の若い人たちには何回説明してもよくわかってもらえないポイントなのだが、70年代の学生にとって、政治は主要な話題でありながらも、なおかつ、その一方で、昼飯のサカナにして遊ぶバカ話の一部に過ぎなかった。

 つまり、カジュアルな話題であったからこそ、誰もが気軽に口にしていたわけで、逆に言えば、政治向きの話題は、そうそう必死になってツバを飛ばしながら議論する話題でもなかったということだ。

 このあたりの力加減は、とてもわかってもらいにくい。

 私自身の話をすれば、大学時代、最も頻繁に行き来していたのは、「東洋思想研究会」(つまり創価学会ですね)というサークルに所属している(後に脱退しましたが)男だった。

 民青の幹部だった男とも詩の同人誌を出しているとかの関係で、そこそこ懇意にしていた。

 雄弁会というサークルにいたわりとはっきりと右寄りだった同級生(「皇室の万世一系は世界に誇り得る日本の財産だ」とか言ってました)とも、レコードの貸し借りを通じて互いに敬意を持って付き合っていた。

 何が言いたいのかを説明する。

 私は、自分が無節操なノンポリで、たいした考えもなく政治的に偏った人々と交友を深めていたという話を強調しているのではない。

 政治がカジュアルな話題としてやりとりされている場所では、政治的な見解の違いは、致命的な対立を招きにくいものだという、とても当たり前の話をしているつもりだ。

 であるから、若い人たちはピンと来ないかもしれないが、党派的な人々がゴロゴロ歩いていた70年代のキャンパスは、その一方で、その党派的な学生同士がわりとだらしなく党派を超えてツルんでいた場所でもあったのだ。

 タイガースのファンは、カープのファンと相互に相手を敵視している。当たり前の話だ。だから、フィールド上でゲームが展開されているスタジアムで顔をあわせることになれば、当然、両者は罵り合うことになる。

 ただ、平場の飲み屋で会えば、両者は、同じ「プロ野球ファン」という集合に属する「同好の士」になる。

 つまり、出会う場所が場所なら、彼らは、話の噛み合う愉快な仲間同士でもあり得るわけで、少なくとも、インフィールドフライの何たるかさえ知らない野球音痴の課長代理なんかよりは、ずっと一緒にいて楽しい。

 政治の場合は、もう少し複雑になる。

 とはいえ、ネット上の、文字だけの付き合いとは違って、実際に生身の人間としてリアルな場所で話をすれば、支持政党が違っていてもまるで問題なく付き合えるはずだし、そもそも宗教や支持政党が違う程度のことで話ができなくなってしまうのは、未熟な人間の前提に過ぎない。