「条件は同じなのだから、野党も同じように工夫して広告を通じたアピール競争に参戦すればよい」
「より優れた政党広告を制作し、より洗練された戦略で自分たちの存在感を告知し得た側が勝利するのであるから、これほど分かりやすい競争はない」

 と、「市場」と「競争」がもたらす福音を無邪気に信奉する向きの人々は、わりと簡単に弱肉強食を肯定しにかかる。

 私の目には、彼ら「競争万能論者」が「弱者踏み潰し肯定論者」そのものに見える。

 彼らは、自分たちが負ける側にまわる可能性を考えていない。

 あるいは、誰であれ人間が必ず年を取って、いずれ社会のお荷物になる事実を直視していないのかもしれない。

 ともあれ、自分が弱っている時、「勝者のみが報われるレギュレーションが社会の進歩を促すのです」式の立論は、まるで役に立たない。

 対象が「政治」でなく、これが、一般の商品なら、優れた広告戦略を打ち出した企業が勝つ前提は、たいした不都合をもたらさない。

 実際、わたくしどもが暮らしているこの資本主義商品市場では、スマッシュヒットを飛ばすのは、必ずしも歌の巧い歌手ではなくて、より大きな芸能事務所に所属して、より強烈な販促キャンペーンの中で一押しにされている歌手だったりする。

 クルマでも即席麺でも事情は同じで、現代の商品は、商品力とは別に、なによりもまず優れたマーケティングと広告戦略の力で顧客の心をつかまなければならない。

 ただし、政治の世界の競争は、商品市場における商品の販売競争と同じであって良いものではない。

 政党ないし政治家は、議会における言論や、議員としての政治活動を競うことで互いを切磋琢磨するものだ。あるいは、政府委員としての住民サービスの成果を競うのでも良い。

 政党なり政治家が、マーケティング戦略や広告出稿量の分野で「競争」することで、政治的に向上するのかというと、私はむしろ堕落するはずだと思っている。

 出版も同じだ。

 販売部数を競い、売上高で勝負しているのであれば、たいした間違いは起こらない。

 読者に媚びるケースも発生するだろうし、流行に色目を使ったり、二匹目のドジョウを狙いに行って自分たちのオリジナリティーを捨てたりするような悲劇が起こることもある。

 ただ、広告収入にもたれかかるようになると、点滴栄養で生きながらえる病人と同じく、後戻りがきかなくなる。

 オリンピックと憲法改正を睨んで、出版業界の目の前には、巨大な広告収入がぶら下がっている。

 編集部の人間には、美味しく見えるエサには、釣り針がついていることを思い出してほしい。

 まあ、ウジ虫がおいしそうに見えている時点ですでに負け戦なのかもしれないわけだが。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

『街場の平成論 (犀の教室)』(晶文社)


どうしてこんな時代になったのか?
「丈夫な頭」を持つ9名の論者による平成30年大総括

戦後史五段階区分説 ――内田樹
紆余曲折の日韓平成史 ――平田オリザ
シスターフッドと原初の怒り ――ブレイディみかこ
ポスト・ヒストリーとしての平成時代 ――白井聡
「消費者」主権国家まで ――平川克美
個人から「群れ」へと進化した日本人 ――小田嶋隆
生命科学の未来は予測できたか? ――仲野徹
平成期の宗教問題 ――釈徹宗
小さな肯定 ――鷲田清一

この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。