言葉を扱うことの専門家であるはずの出版社の人間が、政党の広告を掲載することに「政治的な」「意図」や「背景」がないなどと、どうしてそんな白々しい言葉を公の場で発信することができるのだろう。

 羞恥心か自己省察のいずれかが欠けているのでなければ、こんな愚かな妄言は吐けないはずだと思うのだが、あるいは出版社の台所事情は、自分にウソをついてまでなりふりかまわずに広告収入を拾いにかからねばならないほど危機的な水準に到達しているのだろうか。

 仮に講談社の人間が
 「わたくしどもが発行している雑誌に特定の政党の広告を掲載する以上、政治的な意味が生じることは当然意識していますし、われわれが政治的な意味での責任を負うべきであることも自覚しています。ただ、それでもなお、社会に向かって開かれた思想と多様な言論を供給する雑誌という媒体を制作する人間として、われわれは、政治に関連する記事や広告を排除しない態度を選択いたしました。」

 とでも言ったのなら、賛否はともかく、彼らの言わんとするところは理解できたと思う。

 が、彼らは、政党の広告に政治的な背景があることすら認めようとしない。

 これは、酒を飲んで運転したドライバーが
 「このたびの運転に際して、私は2リットルほどのビールを摂取いたしましたが、あくまで会社員の付き合いとして嚥下したものでありまして、飲酒の意図やアルコール依存症的な背景は一切ございません。警察署の皆様から寄せられておりますご意見は、今後のビール摂取と自動車運転の参考に生かしてまいりたいと思います。」

 と言ったに等しいバカな弁解で、たぶんおまわりさんとて相手にはしないだろう。

 もうひとつ私が驚愕しているのは、今回の自民党&講談社のコラボ広告企画を、不可思議な方向から擁護する意見が湧き上がってきていることだ。

 ハフポストがこんな記事を配信している。

 この記事の中で東京工業大学准教授の西田亮介氏は、
1.責められるべきは、自民ではなく「多様性の欠如」
2.公教育では身につかない政治リテラシー
3.政治を語ることをタブー視してはいけない

 という3つの論点から、自民党によるこのたびのコラボ広告出稿を
「よくできている」
「自分たちの政治理念を政治に興味がない人たちに広く訴求したい、若者や無党派層を取り込みたい、とあれこれ手法を凝らすのは、政党として当然です」

 と評価し、むしろ問題なのは、自民党以外の政党が自民党の独走を許している状況であると説明している。

 さらに氏は、結論として、政党広告への法規制が解除されている現状を踏まえるなら、政党に限らず、雑誌をはじめとするメディアやわれわれ有権者も含めて、もっと政治についてオープンに語る風土を作っていかなければならないという主旨の話を述べている。

 この記事の中で西田氏が述べている論点は、ひとつひとつの話としては、いちいちもっともだと思う。