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 にもかかわらず、氏の記事は強い怒りを持った人々を呼び寄せている。で、その怒りに燃える彼らは、犯人に浴びせていたのと同じ口調で藤田氏を攻撃している。

 どうしてこんな理不尽なことが起こるのだろうか。私にとっては、なによりこの点が不可解だった。

 今回は、「怒り」について考えてみたいと思っている。

 どうやら、あるタイプの人々は、怒りに水を差されるとさらに怒る仕様になっている。
 いったい、何がそんなに彼らを憤らせるのだろうか。

 その日の夜になって、私は
 《「死にたいなら一人で死ね」というメッセージの発信に注意を促した人は、殺人犯を擁護したのではない。
「死にたいなら一人で死ね」というその言葉が、不安定な感情をかかえた人々への呪いの言葉になることを憂慮したから、彼はそれを言ったのだ。どうしてこの程度のことが読み取れないのだろうか。》
 というツイートを投稿した。

 と、怒りは私のアカウントに向けられることになった。

 このツイートには、5月30日の18時時点で、約18000件のリツイート(RT)、約44000件の「いいね」が集中している。

 直接のリプライもこれまでに565件届いている。

 リプライの多数派は、私の書き込みに対する怒りだ。

 「どうしてこのタイミングでそれを言うのか」
 「お前が被害者の親でも同じことが言えるのか」
 「冷静ぶった偽善者の発言には虫唾が走る」

 とまあ、ケチョンケチョンのありさまだ。