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 実際、出版は、甘えと思い上がりを産業化するための枠組みなのであり、それを実体を伴う事業として回転させるためには、強固な思い込みが不可欠だからだ。

 別の言葉でいえば、出版というのは、思い込みを商品化する過程なのである。

 それゆえ、10のうち9つまでが空振りであるのは、この事業の必然というのか、宿命ですらある。

 ただ、その10にひとつのヒットが、残りの9つの書き手を食いつながすことで、出版という魔法が成立していることを忘れてはならない。

 であるから、仮にも書籍の出版に携わる会社の人間が、自分たちが手がけた書籍の実売部数を世間に晒してその著者を嘲弄することは、自分たちの販売努力を無化しているという点でも、金の卵を生むかもしれない自分たちの産業の宝物である書き手のプライドを傷つけているという意味でも、完全に論外な態度だと申し上げねばならない。

 編集者(あるいは出版業者)は、思うように部数のあがらない著者のプライドをこそ命がけで防衛せねばならない。

 なんとなれば、売れている書き手のプライドは、部数と収入と世評がおのずと支えてくれるからだ。

 売れていない本の書き手は、自分の書いた本が売れていないことに気持ちを腐らせている。自信を失いかけている。生活が荒みはじめているかもしれない。

 こういう時、彼または彼女の自尊感情を高めることができるのは、編集者と数少ないファンだけだ。

 そして、ここが大切なポイントなのだが、世の中にいる書き手のほとんどすべては、こちら側(つまり売れていない本の著者)に属していて、その彼らの奮起と努力と自信回復なしには、出版という事業は決して立ち行かないものなのである。

 私自身、自分の著書の中で10万部以上売れた作品は皆無だ。

 それでもなんだかんだ40年近くこの業界で糊口をしのいでこれた理由の半分以上は、適切なタイミングで優秀な編集者にめぐりあうことができたからだと思っている。

 入院先の病院から昨今の出版界を概観しつつあらためて思うのは、業界全体のパイの縮小が続く中、良い本を作ることよりも、「マーケティング」や「仕掛け方」にばかり注力する出版人が悪目立ちしていることだ。

 今回の事件も、その発端は、売上部数を偽装に近い形で演出しつつ、肝心の内容はあられもない剽窃とコピペに頼っている同じ出版社の書籍をめぐる揉め事から来ている。

 当該の書籍の作られ方や訂正のされ方について苦言を呈し続けた書き手の存在が、出版社にとって邪魔だったからこそ、彼は自著の実売部数を晒されるという形で「罰」(あるいは「警告」)を受けなければならなかった。

 同じ事件を、出版社の社長の側から見ると、彼は、売れている著者のごきげんを取り結ぶために 「売れていない書き手を邪魔者扱いにする」という、出版業者として絶対にやってはならない所業に及んでしまったわけだ。