全5689文字

 幻冬舎という出版社の社長が、同社で出版している書籍の実売部数をツイッター上で暴露したことが話題になっている。

 この件についての報道やネット上の反応を眺めながらあらためて思ったのは、出版界内部の反応が大きいわりに、世間一般のリアクションが思いのほか冷淡だったことだ。

 おそらく、ほか一般の業界で仕事をしている人たちの中には
 「出版もまたビジネスである以上、情報を公開するのは当然なのではないか」
 と考えている人が少なくないのだろう。そして、そう考えている人たちからすると、見城氏が津原泰水氏の前作の実売部数を暴露して揶揄したことに激越な反応をしている出版界の人々の態度は、理解に苦しむところなのかもしれない。

 理屈としては理解できる。

 21世紀のビジネスの常識で考えれば、商品として市場に出した書籍の情報を、その売り主である出版社の社長が公開したことは、市場主義経済の原則からして、しごく当然な判断に見えるからだ。

 逆に言えば、自分たちが扱っている商品の売上高という、もっとも基本的な情報を「秘匿条項」「隠しておくべき常識」「誰にも知らせるべきでない数字」としている出版業界の商習慣ないしは業界体質の方が、どちらかと言えば異例だということでもある。

 現在、見城徹氏は、実売部数を暴露したツイートを謝罪の上削除して、今後ツイッターで発言しない旨をアナウンスしている。

 もっともこの「謝罪」と「ツイッター封印」に対してはいまなお批判が渦巻いている。

 「『誰に』『何を』謝罪しているのかがまったくわからない」
 「とりあえず謝罪のポーズを示して事態を収拾したいという意図以外のナニモノをも感じ取ることができない」
 「ツイッター封印も、謝罪とは無縁だな」
 「むしろ逃亡というのか『姿をくらました』ということでしょ」
 「酒で失敗した人間が断酒するのとはまるで別で、むしろナイフで人を刺した犯人が凶器のナイフを川に捨てましたみたいな話だよな」

 と、いたって評判がよろしくない。

 たしかに、見城氏の謝罪ツイートは、実売部数を晒された当事者である津原泰水氏への明確な謝罪の形をとっていない。

 ツイッター封印宣言も、昨今話題になっている某政党の「失言防止マニュアル」と似たようなものに見える。

 見城氏がツイッターを封印するのは、「思ってもいないこと」をつぶやいてしまうことを防ぎたかったからではない。

 「言葉尻をとらえて自分の真意と違う解釈で噛みついてくる有象無象から逃れる」ためでもない。

 彼がツイッターを封印したのは、「内心で思っていること」を「うっかりつぶやいてしまうリスク」を恐れたからで、その理由も、結局のところ彼が「内心で思っていること」が、そもそも不見識であったり非常識だったり反社会的だったり無慈悲だったりすることから来ている。

 ということは、見城氏がツイッターから撤退したのは、反省の気持ちを表現するためではなくて、むしろ、説明責任を回避する目的だったと見るのが自然だろう。