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 もう一回は、アルコール依存の診断を受けて、断酒に取り組んでいた最初の数年間だ。

 この時期、私は「いま・ここ」に集中せずにおれなかった。

 ここでいう「いま・ここ」とは、
 「とりあえず今日一日酒を飲まない」
 ということだ。

 断酒をはじめたアルコホリックは、今日一日以上の長い単位での目論見や計画はとりあえず視界から除外して、ひたすら、その日その日を無事に過ごすことに注力する。そうすることで、ようやく断酒のための最初の一歩を踏み出すことができるようになる。

 これは、AA(アルコホリック・アノニマス)やその他の断酒のための組織で言われている一番最初の教条の受け売りに過ぎないのだが、実際に、困難の中で一歩を進める人間は、断酒者であれ、病人であれ、改悛した悪党であれ、誰もが同じように「いま・ここ」に集中するほかに現状を打開する方途を持っていないのだ。

 さて、入院患者は、その日その日の細切れのスケジュールとは別に、ぼんやりとした頭の中で、「人生」という単位の時間で抽象的思考を遊ばせる習慣を持つ。

 これも、実は現実生活には何ら寄与しない。

 だから、入院患者は、次第に浮世離れして行く。

 われわれが浮世離れするのは、番外地に暮らす者としての適応過程でもある。

 というのも、こんな世俗から遠ざけられた場所で、週に2回の会議と月に3回の地方出張をこなしている営業マンみたいな調子のタイムスケールを持ちこたえていたら、身が持たないからだ。

 本当なら、日常人も、月に一度かそこらは、入院患者の目(つまり、極端に短いタイムスケールと、極端に長いタイムスケールで世界に対峙すること)を持つべきで、同じように、入院患者も、事情が許すタイミングで、外界の俗人たちが味わっているのと同じ試練を味わうべきなのだろう。

 そういう意味で、この連載枠が、私の役に立ってくれることを願っている

 読者の役に立つのかどうかは、これは、私の側からは、わからない。

 目安としては、読み終わって頭がクラクラしているのであれば、少しは役立っているということだ。

 理由は説明できない。

 いつか、近い将来か遠い将来に、入院したタイミングで、思い当たるかもしれない。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

『街場の平成論 (犀の教室)』(晶文社)


どうしてこんな時代になったのか?
「丈夫な頭」を持つ9名の論者による平成30年大総括

戦後史五段階区分説 ――内田樹
紆余曲折の日韓平成史 ――平田オリザ
シスターフッドと原初の怒り ――ブレイディみかこ
ポスト・ヒストリーとしての平成時代 ――白井聡
「消費者」主権国家まで ――平川克美
個人から「群れ」へと進化した日本人 ――小田嶋隆
生命科学の未来は予測できたか? ――仲野徹
平成期の宗教問題 ――釈徹宗
小さな肯定 ――鷲田清一