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 ところが病院という施設に閉じ込められて外部の世界との接触を失うと、人はまず週単位での約束事や月単位での計画から見離されてしまう。

 と、彼は、もっぱら極端に長いタイムスケール(たとえば「人の一生」とか「オレの30年」だとか)か、でなければ極端に短い尺度(「5分前」とか「次の検温までに」とか「次の食事は」だとか)でしか世界と関わらなくなる。もちろん、来週の月曜日に誰某が見舞いに来るとか、次の水曜日にMRIの検査があるといった感じの予定がないわけではないのだが、それらの予定は、こちらが主体となって仕事をしたり準備をするための予定ではなくて、単にカレンダーの進行とともに先方の意思で勝手に流れてくる出来事に過ぎなかったりする。

 要するに、入院中の人間は通常の意味で言う「現実感」を喪失するわけだ。

 しかしながら入院している当事者に言わせれば、彼は、「病院の中の現実」に適応しているに過ぎない。

 というよりも、入院中の人間は、「いま・ここ」に集中する以外に選択の余地を持っていないのであって、むしろ彼に必要な現実感覚は、時間を無化することなのである。

 であるから、入院患者にとって「一週間後に何をする」とか「1ヶ月後にどうする」といった「計画」や「野心」は、むしろ邪魔になる。そうしたことを考えれば、焦りがつのることになる。

 入院を別にすれば、私は、これまで、そんなふうに時間の感覚を喪失した時期を、二度ほど経験している。

 そのうちのひとつは、大学に合格した直後に半年間ほど、極端な無気力状態に陥った時期だ。

 いま風の言葉で言えば「バーンアウト」ということになるのかもしれない。

 とにかく、受験生から大学生にいきなり立場が変わった時、私は、寝る間も惜しんで丸暗記の作業に没頭していたそれまでの数ヶ月間の生活が突然終了したことにうまく適応することができなかった。

 おそらく、目先の課題とその日その日の勉強量とその成果にばかり囚われていた時期の、極度に近視眼的な視野が、大学生活という茫漠とした荒野をとらえきれなかったのだと思う。

 ともあれ、その時、私は、自分が何をどうやって一日をしのいだら良いのかが皆目わからなくなって、ほとんど3ヶ月ほど外出もろくにできない状態に陥っていた。