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 ではオダジマと直接の面識を持たない読者はどう思うだろうか。

 たぶん、
 「何を言ってやがる」
 「お前のプライベート情報なんかオレには一文の価値もないぞ」
 「しかも、そのプライベート情報自体中身スカスカじゃねえか」
 と、おそらくその程度の感慨しか抱かないだろう。

 そんなわけなので、以上、私の個人的な病状やこれから先の診療計画の話は、ひとまずおしまいにして、この5年間に4回の入院生活を経験した62歳の男として、入院生活から感知し得た感慨を書き記しておくことにする。

 この情報は、おそらく、中高年の読者に限らず、若い人たちにも役立つはずだ。

 テーマとしては、人間と病気、入院と日常、あるいは人生と時間といった感じの、やや哲学的な話になろうかと思う。着地点は単なる悲鳴になるかもしれない。書き終わってみるまでは何が出てくるのかわからない。原稿はそうやって書かれるべきものだ。

 入院すると、わりとすぐに、目に見える変化として、時間の感覚が失われる。この点については入院という事態を経験した人のほとんどが同意してくれるはずだ。

 まず曜日の感覚が曖昧になる。しばらくするうちに、昨日と一昨日の区別がはっきりしなくなる。
 別の言い方をすれば、自分と世界との間に流れている時間を測定する尺度が、娑婆世界にいた時と違ってくるというだ。

 たとえば、日常の中で生活している人間は、1週間とか1ヶ月といった単位で時間を区切っている。

 で、その、ひとかたまりの時間の長さを一単位として、自分の日常の時間を四則演算の可能なブロックみたいにして取り扱う。

 だから、現実世界の中で日常を生きている人間は、日、週、月といった、いくつかの実用的な時間単位を使い分けながら時間を管理し、最終的にそれらを支配しているつもりになる。