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そして、その彼らは

「面白くない」
「笑えない」
 という論評こそが、他人を傷つける上で最も有効な武器であるということを疑っていない。

 このことは、裏返せば、彼ら自身が

「面白くない」
「笑えない」
 という言葉に最も深く傷つく人間であることを物語っている。

 なるほど。

 笑いをたいして重要視していない昭和の人間である私は、平成のスタンダードを内面化している人々の目には、いとも傲慢な人間として写っていたのかもしれない。

 それにしても、平成が幕を下ろすこのタイミングに立ち会ってつくづく思うのは、「笑わなければならない」という同調が、この30年間をドライブした最も強烈なオブセッション(強迫観念)だったということだ。

 このことは、意外なほど意識されていない。

 ほぼすべての人間が笑ってばかりいるわれわれの社会では、笑っていない人間は、怒っているのか、なければ敵意を抱いているというふうに見なされる。

 でもって、私は、様々な場面で、その種の不機嫌なジジイの一人として分類されはじめている。

 これは、居心地の悪い扱いである一方で、一面、要らぬ役割を担わずに済む意味でありがたい立場でもある。

 なので、私は、笑いの同調の輪から外れて、ニコリともせずに自分の境涯を受け容れようと考えている。

 もうひとつ指摘しておきたいのは、他人を笑わせることこそが最高に知的な営為であるという、1980年代以前は誰もそう思っていなかった不自然な思い込みが、平成の平凡な男たちをずっと苦しめてきたということだ。

 実にくだらない圧迫だと思う。

 ジョークが苦手な人間は大真面目な言葉を粛々と申し述べていれば良い。

 何も恥じ入ることはない。

 面白くもないのに笑う必要はない。

 間断なく笑うのは、周囲に気を配ってばかりいる緊張した臆病者の仕事だ。

 私は、真面目な人間の言葉に真顔で耳を傾けるつもりでいる。

 私が笑っていないのは、機嫌が悪いからではない。

 無表情なのは、充分にくつろいで平静な気持ちだからだ。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

『街場の平成論 (犀の教室)』(晶文社)


どうしてこんな時代になったのか?
「丈夫な頭」を持つ9名の論者による平成30年大総括

戦後史五段階区分説 ――内田樹
紆余曲折の日韓平成史 ――平田オリザ
シスターフッドと原初の怒り ――ブレイディみかこ
ポスト・ヒストリーとしての平成時代 ――白井聡
「消費者」主権国家まで ――平川克美
個人から「群れ」へと進化した日本人 ――小田嶋隆
生命科学の未来は予測できたか? ――仲野徹
平成期の宗教問題 ――釈徹宗
小さな肯定 ――鷲田清一