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 なので、ここから先の残りの行数は、

「どうしてヨシモトが選ばれたのか」
「平成の日本人はどうしてこれほどまでにお笑いに甘いのか」
 といったあたりのことを考えるために費やそうと思っている。

 「平成最後の」という言い回しは、できれば使いたくなかったのだが、今回の記事が平成最後の更新に当たることは、実際にその通りなので、やはりこの場では型通りに平成の時代精神を振り返っておくことにする。

 ご存知の通り、昭和の末期から平成の初頭に勃興した「お笑いブーム」以来、わが国の大衆文化は「お笑い」に席巻されてきた。

 テレビを通じて配信されるお笑いコンテンツの量が増え続けたというだけの話ではない。
 芸人の提供する笑いの質が高度化したというだけのことでもない。

 それだけの話なら、笑いの高度化そのものは、悪いことではない。

 実際、昭和の時代のテレビ画面に映し出されていたお笑い番組のしょうもなさを比較対象にしてみると、平成の日本をまるごと覆い尽くしたお笑いコンテンツの破壊力は、質・量ともに昭和を圧倒している。昔の芸人に比べれば、現在の芸人の方がずっと優秀だしアタマも切れる。しかも、あらゆる点で、センスが良い、私はマジメにそう思っている。

 ただ、弊害もある。

 弊害は、お笑いを提供する芸人の側にではなく、むしろ彼らの芸を享受している視聴者のマナーの変化に顕現している。

 どういうことなのかというと、平成の日本人たるわれわれは、あらゆる場所に笑いを求めるあまり、いつしか、笑ってさえいられるのであれば、ほかのことはろくに考えない、およそ軽薄な人間に仕上がってしまったということだ。

 さらにわれわれは、「笑えない」コンテンツを軽んじるようになり、最終的には、真面目に考えたり真剣に取り組んだりする態度そのものを嘲笑する人間になり果ててしまっている。

 そんな風潮の中で圧倒的な影響力を獲得したのが吉本興業だ。

 なにしろ、芸人ほど女にモテる職業はほかにいない。彼らほど短時間で巨大なギャラを手にしているタレントもほかには見当たらない。となれば、若い人たちが芸人を目指すのはむしろ当然のなりゆきだし、職業としてのお笑いタレントを目指さないまでも、営業会議でなんとか笑いの取れる意見を言おうと必死になる社員が続出するのも、これはこれで、どうにも仕方のない展開だったりする。

 私のツイッターの通信欄には、

「おもんない」
「まるで笑えない」
「壊滅的に笑いのセンスが欠けてるんだなこいつは」
 という感じのリプライを送ってよこす人々が毎度毎度何十人も登場する。

 はじめのうち、私は、

「笑わせようと思って書いてるわけでもないツイートに対して、いちいち笑えないとかなんとか言ってくるこの連中は何者なのだろうか」

 などといぶかっていたのだが、さんざん付き合っているうちに気づいたのは、彼らの真意が、私のツイートの巧拙を論評するところにはないということだった。彼らは、単に私を罵倒したいだけなのだ。