確かに国際的に広く流布している西暦以外に、別建ての暦年の計算方法を持ち続けることは、不合理でもあれば非効率な話だとも思うのだが、時間の数え方や時代のとらえかたも広い意味で言えば文化の一部ではあるわけで、だとすれば、ひとつの独立した言語を持つ独立した文化圏の人間たちが、独自の時代区分を持ちこたえることを不合理の一言で片付けて良いものでもない。

 平成と言いたい人は言えば良いし、新しい元号で何かを言い表したい人たちは好きなようにその言葉を連呼すれば良いと思う。

 ただ、私としては、お国なりお役所なりが、公文書上で、国民に対して新しい元号の名前を書き込むことを強要するような制度や取り決めは、できれば廃絶してほしいと思っている。逆に言えば、そこのところさえなんとかしてくれるのであれば、新しい元号がどんな文字面になろうとも基本的には受け入れるつもりでいる。

 話を整理すれば、元号を使いたくない人間がそれを使わずに済む権利を保障してくれるのであれば、元号を使いたい人たちが元号を発音してうっとりすることを妨害しようとは思わないということだ。なんとなれば、自分の好きなものを好きな名前で呼ぶ権利は、民主主義が健全に機能するために、わりと大切な条件だと思うからだ。

 なので、話はちょっとズレるのだが、新しい元号が動き出すタイミングで、選択的夫婦別姓制度を実現するための条件を整備しはじめてくれるとありがたい。

 自分が好きになった人の姓を奪う(あるいは好きになった人のために自分の姓を捨てる)みたいな無慈悲なことを、どうして国が国民に対して強要できるのかが、私にはどうしてもよくわからない。

 きれいごとだと思う人がそう思うのはかまわない。

 ついでに言えば、私は、他人の言葉をきれいごとだと思う人間がきたない世界で暮らす権利を妨害しようとは思っていない。  

(文・イラスト/小田嶋 隆)

『街場の平成論 (犀の教室)』(晶文社)


どうしてこんな時代になったのか?
「丈夫な頭」を持つ9名の論者による平成30年大総括

戦後史五段階区分説 ――内田樹
紆余曲折の日韓平成史 ――平田オリザ
シスターフッドと原初の怒り ――ブレイディみかこ
ポスト・ヒストリーとしての平成時代 ――白井聡
「消費者」主権国家まで ――平川克美
個人から「群れ」へと進化した日本人 ――小田嶋隆
生命科学の未来は予測できたか? ――仲野徹
平成期の宗教問題 ――釈徹宗
小さな肯定 ――鷲田清一

この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。