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 あの時のKの説教を、どう説明したら現代の日本の読者に伝わるだろうか。

 ともあれ、Kは、フィリピンで言うパトリオット(愛国者)で、彼なりに国を憂えていた。

 で、そのKに言わせれば、今の言葉で言う「インバウンド需要」で国が潤うことは、外国人の落とすカネで暮らす人間がそれだけ増えるということで、国の経済のおおもとのところが、タカリ体質に変貌することにほかならなかった。そのことを彼は警戒していたのである。日本のためにではない。フィリピンのために、だ。

 インバウンド需要のすべてが悪いとは言わない。

 インバウンドで潤う業界があるのはそれ自体としては悪いことではないし、そこから派生したカネがめぐりめぐって国の経済を活性化するのであれば、それは歓迎すべき流れなのだろう。

 ただ、カジノや万博やオリンピックや行きずりの観光客が落とす日銭を当てにしたところから経済計画を立案する態度は、一国の経済政策としては好ましくない。一人の愛国者として、私はそのように考える。

 もうひとつ、旅嫌いの出不精の人間の偽言と思って、3割引きくらいの力加減で聴いてもらって差し支えないのだが、私は、観光地の商売というものをいまひとつ信用していない。

 行きずりの観光客相手の商売は、リピーターを増やすために努力している街場の人間の商売とは性質が違う。

 であるから、世界中どこに行っても、観光客相手に土産物を商う人々の価格設定は、地場の人間に必需品を売る商人の値付けとはその根本の精神が違っている。

 悪い言葉を使えば、観光客相手の商売人は、ぼったくることをなんとも思っていない。どうせ同じ客とは二度と会うこともないからだ。

 もっとも、観光業に従事する誠実な人たちがたくさんいることもわかっている。

 だが、インバウンドの客を相手にするということは、行きずりの客相手に商品を売るということで、これは、商売の質そのものが荒れるということでもある。

 日本人の商店主が諸外国の商売人と比べて正直だと思われている原因のひとつは、コミュニティー外の人間と取引をすることの少ない島国の人間であるわれわれが、瞬間的な稼ぎよりも長期的な信用を重んじる態度で商売をしてきたからだと思う。

 その伝統が海外からの客を相手にしているうちに、じきに失われるのではないかと危惧している。

 というのも、
 「どうせあの人たちは値打ちがわからないから」
 「どうせ、二度と来ない客だから」
 という感じの、モロな観光地商売を展開する人間は、いずれ、商品と価格への真摯な感覚を失うはずだからだ。

 典型的な観光地の典型的な土産物屋の商売が、行き当たりばったりの出たとこ勝負であること自体は、たいした問題ではないし、それはそれで天晴な態度ですらある。

 事実、世界の観光ビジネスはそういう原則で動いている。

 ただ、日本中にインバウンドの経済が影響を与えるようになり、この国の主要な産業が観光だということにでもなったら、われわれは、いずれその種の商道徳で世間を渡る人間になって行くはずだ。

 具体的にどういう人間になるのかというと、空港前の路上で、信号待ちの度にタクシーの窓ガラスを叩いてバラ売りの煙草を売りにやってくる5歳児みたいな人間ということなのだが、その5歳児は、煙草が売れないとなると、母親を売ろうとするのだ。

 いや、これは、「キャッチ22」からパクったネタなのだが、たいして面白くもないうえに、品も良くなかった。
 いつでも品の大切なのは、良い人間として振る舞おうとする心がけだ。それを忘れてはならない。

 インバウンド需要に特化した日本人が、自分たちの品格を保てるのかどうか、私はその部分をとても心配している。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

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 30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
 と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
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上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

<< 目次>>
告白
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四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
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