で、その答えが、2番めの、「大いなる力」というわけなのだが、これが、モロにキリスト教の「神」っぽくて、普通に育った日本人の私には、やはり受け入れがたい。

 率直に言えば
 「うそつけ」
 「だまされてたまるもんか」
 とそう思えるわけだ。実のところ、私はいまでもちょっとそう思っている。

 ただ、この二つのステップの絶妙なところは、「自分の(アルコールに対する)無力さ」という依存症の本態を、これ以上ないシンプルな言葉で言い当てているところだ。

 多くのアルコール依存者が断酒に失敗するのは、
 「自力で」
 「気力で」
 「強い意志の力で」
 アルコールなり薬物なりへの欲望をねじふせようとするところにある。

 これをやると、遅かれ早かれいずれ忍耐が決壊するポイントに到達する。

 我慢には、限界がある。

 限界までは我慢できるけれど、限界が来たら、我慢はやぶれる。当たり前の話なのだが、この当たり前のところがなかなか理解できない。

 薬物使用者を断罪する報道を見ていると、いずれも、依存症患者を
 「我慢の足りない人」
 「自己制御のできていない人間」
 「自分に甘えている人」
 というふうに規定するドグマから一歩も外に出ていない。

 違法の薬物に手を出して、それをどうしてもやめることができずに、いずれ発覚したらすべてを失うことをよく理解しているのに、それでもやっぱり常習的に使用することを断念できずにいたのは、意志が弱いとか見通しが甘いとか、そういう話ではない。

 病気だったということだ。

 病気だということの意味は、自力では治せないということでもあれば、自分を責めても仕方がないということでもあれば、治療法については他人の力を借りなければならないということでもある。

 依存症患者が陥りがちなループから逃れることがまず最初の課題だということでもある。

 そのループとは、
・自分は誰よりも酒(あるいはクスリ)を理解している。
・自分ほど自分を理解している人間はいない。
・自分は自分をコントロールできている。
・酒(クスリ)は、時に自分を失わせるが、その酒(クスリ)を自分は自分の意思で制御している。
・ということは自分は酒(クスリ)を通して自分をコントロールできている。
 みたいな奇妙な理屈なのだが、これは、酒(あるいはクスリ)とセットになると無敵の自己弁護になる。

 この境地から外に出ることが、つまり、自分の無力さを自覚することになるわけだ。

 わかりにくい話をしてしまった。

 ピエール瀧さんとは3度ほど同席させてもらったことがある。その都度、心底から愉快な時間を過ごすことができたと思っている。とても感謝している。

 私の知る限り、どの芸人さんやタレントさんと比べても、あんなに爆発的に面白い人はほかにいない。

 無論、個々の芸人さんたちとて、本筋の芸を演じる時には、見事な面白さを発揮してくれる。そのことはよくわかっている。

 でも、瀧さんは、私がこれまでの人生でナマで話した人の中で、誰よりも素の会話の面白い人だった。これは自分の中では動かない事実だ。

 その面白さがクスリの作用だったとは私は考えていない。

 クスリや酒は、気分を動せても、アタマの中身そのものを変えることはできない。

 そのアタマの中身の素晴らしさをもう一度取り戻すためにも、ぜひ断薬してほしいと思っている。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

 なぜ、オレだけが抜け出せたのか?
 30 代でアル中となり、医者に「50で人格崩壊、60で死にますよ」
 と宣告された著者が、酒をやめて20年以上が経った今、語る真実。
 なぜ人は、何かに依存するのか? 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

<< 目次>>
告白
一日目 アル中に理由なし
二日目 オレはアル中じゃない
三日目 そして金と人が去った
四日目 酒と創作
五日目 「五〇で人格崩壊、六〇で死ぬ」
六日目 飲まない生活
七日目 アル中予備軍たちへ
八日目 アルコール依存症に代わる新たな脅威
告白を終えて

 日本随一のコラムニストが自らの体験を初告白し、
 現代の新たな依存「コミュニケーション依存症」に警鐘を鳴らす!

(本の紹介はこちらから)

以下の記事も併せてお読みください

この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。