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 それにしても、こんなあからさまなハシゴの外し方があって良いものなのだろうか。

 いくらなんでも、手のひらを返すにしても、あんまり露骨なやりざまではないか。

 これまで、政権発足以来、25回逢瀬を重ねてきたウラジーミルとシンゾーによる「個人的な関係」の結果がこれなのだとすると、いったい安倍外交とは何だったのかという話でもある。

 とにかく、どういう結果がもたらされるのであれ、せめて、説明だけはきちんとしてもらわないと困る。

 別に私が困ったからといって、誰も困らないとは思うが。

 北海道新聞が伝えているところによれば、ここへ来て、地元の返還運動もトーンダウンしている。

 記事は以下のように伝えている。

《根室管内1市4町でつくる北方領土隣接地域振興対策根室管内市町連絡協議会(北隣協)の会長を務める石垣雅敏・根室市長は29日、2月7日に同市内で開かれる「北方領土の日」根室管内住民大会(北隣協主催)で、鉢巻きの文言を例年の「返せ!北方領土」から「平和条約の早期締結を!」「北方領土問題の早期解決を!」に変える方針を明らかにした。-略-》

 どこからどういう指示があって、たすきの文言が腰砕けのスローガンに化けたのかは、1000キロ離れた関東地方で暮らす私には、ほとんどまったく想像すらできない種類の変化だ。

 が、とにかく、地元の人たちはすでに
「返せ」
 という文字を使わなくなっている。

 この事実を、どう解釈したら良いのだろうか。

 

 遠く昭和の時代を振り返るに、北方領土の問題をことあるごとに強調してやまなかったのは、どちらかといえば「右派」と見なされる人々だった。

 北方領土の返還が国民の悲願であり、戦争によって失われた国土を取り戻すことが果たされない限り、真の「戦後」はやって来ないというのが、彼らの主張で、ということはつまり、ロシア(長らく「ソ連」と呼ばれていた)との戦争は、いまだに終わっていないというのが、対ソ強硬派の右翼を自称する人々の変わらぬ主張だった。

 ところが、戦後70余年、一貫して北方領土の返還を叫び続けてきたその右派の人々が、どうしたわけなのか、地元の返還運動推進者同様、突然、「返せ」という言葉を口にしなくなっている。

 ずいぶん前からなんとなく思っていたことだが、もはや個々のイシューについて「右派」とか「左派」という分け方をすること自体が無意味になってきている。

 というよりも、「右派」にも「左派」にも、固有の思想や主張があるわけではなくて、単に政権に対する態度の違いが両者を右と左のポジションにより分けているだけだと言うべきなのかもしれない。

 昨今の右派は、政府の方針を追認するばかりで、政権の態度次第では、領土保全という自分たちの最も根源的な主張すら放棄しかねない人々であるように見える。

 同じことは左派にも言える。

 自民党が北方領土返還を声高に叫んでいた昭和の時代、わが国の左派陣営は、区々たる土地の帰趨よりも、むしろ隣国との友好的な関係の構築を主張していたものだった。それが、敵方の政党が領土問題で腰の引けた態度を取りはじめるや、にわかに
「北方領土はわが国固有の領土ではないのか!」

 などと、往年の右翼もかくやの大音声で呼ばわっていたりする。