最近の例では、ネット上で時々話題になる「虚構ニュース」がパロディの文法をよく踏まえていると思う。

 内容のバカバカしさといい、文体模写の見事さといい第一級のパロディに仕上がっている作品が多い。

 で、この度のカフェラテのニュースだが、実際、「虚構ニュースの映像版」と言われて見せられたら、私は信じてしまったかもしれない。
 それほど完成度が高い。

 ということはつまり、それほど形式のみが完成されていて中身がバカげているということだ。

 こんなことが起こるのは、もしかして、ニュース制作の現場で、
「きちんとした中身(内容)のあるニュースを配信する」ことよりも、
「形式として完成度の高いニュースを制作する」

 ことが重視されているからなのかもしれない。

 記者さんやデスクさんたちは、ニュースの中身の信頼性やニュースバリューの重さをあれこれ考えることよりも、ただただ右から左に作っては流すニュースの形式としての完成度ばかりを気にかけている。だから、ニュースバリューはゼロでも、形式としてニュースらしかったり、扇情的な素材として視聴者のアイキャッチに貢献する素材であれば、そのままニュース項目として合格点をつけてしまう。実にありそうな話ではないか。

 うがった見方をすれば、このニュースは
「コーヒー類飲料の品種ゴマカシ注入の横行にアタマを痛めるコンビニ業界が、警察とマスコミを巻き込んで一罰百戒の逮捕案件ニュースの配信を企画した」
結果なのかもしれない。

 そう考えると、一応の辻褄は合う。

 あるいは、もっと別の陰謀論的な推理を持ち出せば

「厚労省による不適切統計処理や五輪招致に関する贈賄疑惑などなど、政権にとって不利なニュースばかりが並ぶ中で、政権との軋轢を恐れるニュース制作現場が、誰も傷つかない無難なニュースを求めた結果が、ほのぼのローカル軽犯罪ネタの全国ニュース昇格という結果への着地だった」

 という読み方もできる。
 いずれも信憑性は著しく低い。
 というよりも、まるっきりの当てずっぽうに過ぎない。

 おそらく、真相は、ニュースを配信している現場の人間たちが、ニュースバリューという抽象的で手強くで厄介で神経の疲れる対象についてアタマを絞ることよりも、ニュースの完成度という手慣れた人間には一発でわかる尺度でニュースを選別することを選び続けたことの結果が、ゴミみたいなニュースの配信を招いているということなのだと思う。

 雑誌の現場でも似た問題は起こっている。

「内容はまるで空疎なのに、なんとなく形式が記事っぽく整っているから通用している」

 みたいな記事はたくさんあるし

「本当は面白くないんだけど、面白っぽく書いてあるもんだからついつい笑わされたような気分になるコラム」

 がいたずらにトラフィックを空費している例だって、たぶん珍しくない。

 個人的には、コーヒーの容器にカフェラテを注いだおっさんの小ずるさと、のべ2015万人に対して、雇用保険の支給額など564億円を過小支給していた厚労省の統計不正の深刻さを虚心に比べて見れば、後者の方が数億倍は悪辣だと思うし、ニュースバリューに関しても、後者のニュースの方が少なくとも百倍は重要だと思うのだが、放送時間の方は、せいぜい二倍程度しか割かれていない。

 実に不健全な運用だと思う。