メディア業界の人間は、自分たちの業界のセルフパロディを好む。のみならず、時には、本業での制作物に対する時よりも大きな情熱を傾けてパロディの制作に注力する。

 で、彼らが余興や忘年会や仲間内の結婚式で上映する自虐パロディの映像作品の中には隠れた傑作が少なくないわけなのだが、今回のNHKニュースの作風は、その種のパロディニュースのそれとほとんど区別がつかない。

 この種のパロディニュースの勘所は
・大真面目なニュース原稿の文体
・真剣な表情のレポーターの現地レポート
・緊迫感を演出する手持ちカメラ映像
・下からアオる感じの大仰なカメラワーク

 という、安ワイドショーニュースならではの堅固な形式を固持しつつ、それでいてテーマの部分では
・どうにもあほらしい犯罪(はんぺんの下にちくわぶを隠すことでおでんの会計をごまかしたとか)を告発するといったところにある。

 要するに、ニュースの中身をどこまでも空疎にしておくことで、世間の信じている「ニュース」なるものが、いかに外形的な要素に依存した形式的な制作物であるのかを天下に知らしめることが、パロディに与えられている使命だということだ。

 私自身、ずっと昔、「ASAHIパソコン」というパソコン情報誌で、「藍亭長屋」という用語解説パロディの連載を持っていたことがある。

 藍亭長屋という架空のお江戸下町コミュニティーに住むご隠居さんが、「ユビキタス」「脆弱性」「コンパチブル」「アンドゥー」「パケ死」といったIT用語について長屋の住人相手に解説をカマすという落語仕立てのコラムだった。

 必ずしも成功した連載ではなかった(というよりも、わりと盛大にスベってました)のだが、この時心がけていたのは、
「落語の形式と文法は最大限遵守すること」
「落語としてそのまま成立する口舌の冴えとオチの鮮やかさを目指すこと」
「ネタは落語からなるべく遠ざかること」

 の3つだった。

 つまり、パロディは「形式は完璧に、内容は空疎に(あるいは「異質に」)」という構えで作られているからこそ、パロディたり得るわけで、形式の作り込みが甘かったり、内容が変にもっともらしくなってしまったら、パロディとしては焦点のボケたものになってしまうということだ。

 「藍亭長屋」シリーズの連作は、結果的にはニセモノの落語の領域にさえ到達できない半端なパロディに落着した。のみならず、IT用語解説としてもたいしてわかりやすくない困ったテキストでもあった。

 ただ、読者にとっては価値の低い読み物であっても、書き手にとっては、あれを書いたおかげで落語への愛情と理解が深まることになったありがたいコラムだった。書かせてくれた媒体や、許容してくれた編集部や読者にはいまでも感謝している。ついでに言えばだが、あの連載を何年か続けたことで、私は、パロディと現実の距離について少しだけ敏感になれたと思っている。まあ、怪我の功名に過ぎないといってしまえばそれまでだが。