全6033文字

「私自身のスタートは臨床医ですから痛感するんですが、臨床医が陥りやすい罠があって、それって、みんな自分が見たものをめちゃくちゃ信用することから始まっているんです。でも、実際は臨床医の経験はバイアスがかかりまくりです。やはりクリニックにやって来る人たちから得る経験は、リアルワールドで出会う人たちとは違うんですよ。京都では行政と一緒に施設を巡回したり、今で言う特別支援学校の学校医を長く勤めていたこともありました。すると、(診断がつきそうだが)クリニックに来ない人たちに出会うわけですね。あと、九州大学で1歳半の子を見続けた経験と合わせて、私はもう、目からうろこっていうか、臨床では出会えなかった人たちのことを知るのが本当に楽しくて。やっぱり公衆衛生的な視点っていうのは大切だなというふうに思うようになりました」

 なお、根拠に基づいた医療(EBM)が提唱されて普及した背景には、臨床現場の医師の体験にはバイアスがかかることを医師たち自身が自覚したことに端を発する。その診断なり治療法なりがよいものかどうか、医師の実感ではなく、きちんとした研究デザインで導かれたエビデンスに基づくことが求められる。そして、もしもエビデンスがない場合は、自分が試みている有望な治療などについて、適切な研究を行うことで新たなエビデンスを産出することも推奨される。

治療や支援や配慮を必要としている人がどの程度いるのかなど、病気の現状を把握するには公衆衛生的な観点が不可欠だ。
[画像のクリックで拡大表示]

 神尾さんとの対話が刺激的に感じるのは、臨床医としてエビデンスを活用する立場でありつつ、常に新しいエビデンスを産出する意識で活動していることだ。日々の臨床的な実践から、俯瞰して疫学の道具を使った時に見えてくる課題解決への意識(まさに公衆衛生的な観点)、もっといえばそれを社会的に実装するための機微まで、切れ間なく接続されている。

 九州での「実現しなかったコホート研究」は、研究そのものとしては結実しなかったけれど、副産物として「新しい尺度」を確認できたり、「定型と非定型の連続性」を示唆したりできた。また、京都時代からの経験で、地域に出ていくと病院に来る人たちとは違うリアリティ、つまり、病院に来ないけれどやはり苦労している人や、病院に来るまでもなく身近な環境の中でうまく解決している「市中のベストプラクティス」「家庭のベストプラクティス」の事例があることも確信できた。これは神尾さんや仲間たちを勇気づける研究や経験の積み重ねだった。

 もっともこの時点では、それらの多くがまだ神尾さん自身の実感のレベルで、他の専門家たちを説得するには至らない。そこで2006年、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所に赴任し、政策立案にも資する研究をする立場から、まず行ったのが「日本の小中学生2万人調査」だった。

「児童・思春期精神保健部長に着任したのは、ちょうど翌年に発達障害者支援法ができるタイミングでしたので調査のための研究費もつけてもらえたんです。日本の中で、自閉症をはじめとする発達障害がどれくらいの頻度で存在しているのかを調べました。ただ、最初は、反対も多くて、『先生は、正常な人までスペクトラムにいれるんですか』とか、『過剰診断につながるんじゃないんですか』などと言われました」