発達障害である自閉症は、人口の2%に及び、“グレーゾーン”も入れると1割を超すという。現在の診断名は「自閉スペクトラム症」で、かつてのアスペルガー症候群も含め、その現れ方は様々だ。そんな自閉症への理解を深めるために、日本の研究と治療と支援をリードしてきた医師、神尾陽子先生の研究室に行ってみた!その3回目。(文=川端裕人、写真=内海裕之)

 発達障害クリニック附属発達研究所を主宰する神尾陽子さんが、児童精神科の医師として、また研究者として活動してきた1990年代から21世紀の今に至るまで、「自閉症」の概念や診断や治療や支援をめぐって大きな変化があった。

 神尾さんの個人史は、まさにその変化の中にあり、みずからその変化に貢献する部分もあった。だから、ここからしばし、神尾さんがいかにこの分野に関わってきたのか聞いていこう。その中で、自閉スペクトラム症についての理解がより立体的になるのではないかと期待する。

 まず、神尾さんは、どのようにして「自閉症」の問題にかかわることになったのだろうか。数ある診療科の中から児童精神科を選び、なぜ自閉症をめぐる問題に惹きつけられていったのだろう。

「私が自閉症だからかもしれません」

 神尾さんは、笑いながら言った。

国立精神・神経医療研究センターの責任者を務めたのち、現在は発達障害クリニック附属発達研究所を主宰する神尾陽子さん。
国立精神・神経医療研究センターの責任者を務めたのち、現在は発達障害クリニック附属発達研究所を主宰する神尾陽子さん。
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「きっと、どこかにそういうところがあるんじゃないでしょうかね」と付け加えた。

 ぼくも笑いながら、その真意を考えた。

 この対話のために自閉スペクトラム症にまつわる本を読んだり、神尾さんの話を聞く中で、ぼくが常に感じるのは、紹介される事例への共感だ。対人コミュニケーションがうまくいかなかったり、変なこだわりがあったりして生きづらかったり、といったことは、濃淡の差はあれ多くの人の中にもあるだろう。だから、ぼくも、自閉症的な特性について説明を受けつつ、「これは自分にも当てはまる」と感じることはしょっちゅうだった。研究者はより深くの自閉症の世界にかかわるわけだから、自分の中にある似た要素を強く感じて惹きつけられるということもあるのではないだろうか。