自閉症という言葉を多くの人が耳にしたことがあると思う。ではそれが具体的にどんな状態を意味するのかを理解している人はごくごく限られているのではないだろうか。
お子さんが自閉症と診断されている保護者は、我が子と真剣に向き合いつつ懸命に勉強するし、また、医師や支援者、当事者団体などとのつながりを通じて、イメージを固めていくこともできるだろう。しかし、直接のリンクがない人にはよく分からないままだ。
もちろん、身近な知人友人の中に、自閉症と診断されたお子さんを持つ人はいる。しかし、その場合も、先方から相談でもされないかぎり、根掘り葉掘り聞くのははばかられる。自閉症の当事者が書いた著作を読めばある程度のことは分かるが、それはあくまで書いた当人のケースだ。コミュニケーションや意思伝達の仕方が違ったり、なにかの感覚が過敏だったり、といったことは共通項としてありつつも、多様な語られ方をしており、自閉症とはこういうものというようなイメージが結像しにくい。
さらに最近、「自閉症」という言葉を単体ではあまり聞かなくなってきたようにも思う。「自閉スペクトラム症」「自閉症スペクトラム障害」などという言葉の中に組み込まれた形で語られることが増え、それどころか、「発達障害」という大きな括りの中では、「自閉症」という言葉は埋没してしまうことすらあるかもしれない。
ちなみに、ぼくの子どもたちが小学生だった10年ほど前、発達障害は教育の現場で大いに話題になっていた。その際、保護者であるぼくが耳にすることが多かったのは、自閉症よりもむしろ、ADHD(注意欠如・多動性障害)や学習障害(LD)だった。これらはつまり、学級経営や学習指導に直結するものだから、学校という場においては、外から見る立場でも目立って感じられたのだと思う。
しかし、実際のところは、自閉症(診断としては自閉スペクトラム症)は、発達障害の中でも非常に大きなウェイトを置くべきものだそうだ。よく引用される疫学研究によると、自閉スペクトラム症の診断がつく子は人口の2.6パーセントほどだという。また、医学的な診断には至らないけれど、なんらかの支援や早期対策を要する「診断閾下(いきか)」の子どもは10パーセント以上にも及ぶ。
これはかなり衝撃的ではないだろうか。例えば、都市部によくある児童数500人くらいの小学校を想定してみる、その小学校には、自閉スペクトラム症の子が10数人、なんらかの支援や対策が必要な「診断閾下」の子が50人以上いることになる。各学年2クラスの編成なら、クラスごとに1~2名、「診断閾下」の子まで入れれば5名以上、自閉症的な傾向を持つ子が在籍することになる。これはかなりの頻度だ。
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