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 最後に、松田さんが今、試みている、少し方向性の違う新たな展開に触れて本稿を終える。

 1999年、研究者に転身してから、ほぼ20年、臨床から離れている松田さんだが、一連のゲノム研究を経て、バイオバンクを運営する立場になりつつも、もう一度、自分自身の研究として、整形外科医時代のテーマに立ち戻っているという。

 「さきほども言いました骨軟部腫瘍の件です。骨とか筋肉にできるような悪性腫瘍って、悪性腫瘍の中の1%ぐらいですし、発生する場所も種類もすごく細かくて腫瘍の組織型が140種類以上にも分類されているんです。つまり、ひとつひとつの種類の腫瘍の症例がとても少なくて、一番多い骨肉腫でも国内で年間100から150症例くらいです。がんゲノムの解析をするにしても、少なくとも数十程度の献体が必要なので、1つの病院で集めるのは難しくて、今、国内の主要ながんの病院の先生方とネットワークを組んで、骨軟部腫瘍ゲノムコンソーシアムというのを作りました。そして、手始めに、その中の10種類ぐらいの腫瘍についてゲノム研究をやっているところです」

 これは、バイオバンク・ジャパンのような大規模な疾病バイオバンクで登録対象になってこなかったような希少疾患にまで、研究の対象が伸びてきたということだ。

症例数の少ない骨軟部腫瘍の研究を進めるべく、松田さんらは 「骨軟部腫瘍ゲノムコンソーシアム」を立ち上げた。国内20以上の医療機関に加え、実績のある8研究施設が参加するオールジャパン体制の研究ネットワークだ。(画像提供:松田浩一)

 「骨軟部腫瘍って本当にマイナーなので、研究費とかも取りにくいですし、薬の開発にしても、たぶん製薬会社とかもそんなに興味がないんですよ。症例が少ない、患者が少ないというのは、解析もしにくいし、研究費も得にくいということです。でも、今は、そういう希少疾患をちゃんと見ていこうという機運が出てきました。このタイプの骨軟部腫瘍には、こういう遺伝子の異常があるとか、まずは基盤となるデータをつくる。がんでいうと、5年ぐらい前にやっていたことを、今ちょっと遅れて始めていて、それが分かった次の段階としては、今後どういう治療をやればいいのか、治療法の選択とか、効果測定に関係することをやっていくことになると思います。この分野でも、精密医療、オーダーメイド医療と呼べるものが、おそらく5年ぐらい先には、実現しているんじゃないかと期待しています」

 松田さんの臨床医としての原点と、研究者としてのキャリアが、ぐるりと一周めぐって一致したところだ。たぶん、5年後、10年後、さらに 「もう一周」くらいした時には、ぼくたちはきっと精密医療だとか、オーダーメイド医療といった言葉を使うこともなく、むしろ当たり前のこととして享受しているかもしれない。松田さんと話していて、そんな楽観的な未来を思い描くことができた。

バイオバンク・ジャパンのDNA保管倉庫にて。

おわり

(このコラムは、ナショナル ジオグラフィック日本版サイトに掲載した記事を再掲載したものです)

松田浩一(まつだ こういち)
1969年、大阪生まれ。東京大学 大学院新領域創成科学研究科 メディカル情報生命専攻 クリニカルシークエンス分野 教授。M.D., Ph.D. 1994年、東京大学医学部医学科卒業後、整形外科医の勤務経験を積んだのち、基礎研究を志して1999年、東京大学大学院医学系研究科外科学専攻に入学。2003年に米国ベイラー医科大学研究員になり、博士号も取得。2004年、東京大学医科学研究所、ヒトゲノム解析センター助手に就任。2009年に准教授になり、2015年より現職。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『天空の約束』(集英社文庫)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその“サイドB”としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。