自治事務次官を務めた後、竹下登氏から村山富市氏まで7人の総理大臣に仕えた元官房副長官の石原信雄氏へのインタビュー。官僚の在り方を聞いた前編に続く今回は、危機時のリーダーシップ、そして、日本の未来について聞いた。

消費税の導入を決めた竹下登元総理大臣から、自民党・社会党・新党さきがけによる連立政権だった村山富市元総理まで7人の総理大臣を支えてきました。印象に残る総理大臣はどなたですか。

石原信雄氏(以下、石原氏):竹下さんと村山さんでしょうか。竹下さんといえば保守本流のど真ん中の人で、村山さんは左派。ただ2人は党利党略を超えて、政治の話をしていましたね。

<span class="fontBold">石原信雄(いしはら・のぶお)氏</span><br> 1926年生まれ。52年東京大学法学部卒業、地方自治庁入庁。市町村税課長、地方債課長などを経て財政担当審議官、税務局長、官房長、財政局長を務める。84年に自治事務次官就任。87年から95年まで内閣官房副長官を務める。(写真:陶山 勉)
石原信雄(いしはら・のぶお)氏
1926年生まれ。52年東京大学法学部卒業、地方自治庁入庁。市町村税課長、地方債課長などを経て財政担当審議官、税務局長、官房長、財政局長を務める。84年に自治事務次官就任。87年から95年まで内閣官房副長官を務める。(写真:陶山 勉)

 1995年に発生した阪神大震災では村山さんが大変な苦労をしていましたが、竹下さんが官邸に駆けつけてアドバイスをし、復興委員会を立ち上げました。当時は“自社さ”による連立政権でやりにくい面がありました。竹下さんは自民党に影響力があったので関係者の選定などを手伝っていました。大震災という国難に遭遇したときに党派を超え、党の立場や忖度(そんたく)というものを超えて議論していました。私は2人の姿を見て「この国も捨てたもんじゃないな」と思ったものです。

政権が変われば官房副長官も交代することが慣例としてありますが、7代にわたって続けてきたのはどんな理由だったのでしょうか。

石原氏:いずれの内閣でも引き留められて、思わぬ形で7人の総理大臣に仕えることになりました。米国でいうと、共和党から民主党に代わったのに番頭役が同じというところでしょうか。

 竹下さん、宇野(宗佑)さん、海部(俊樹)さんと続いた後の宮沢(喜一)政権では官房副長官をやめるつもりでしたが、宮沢さんの弟に引き留められました。村山さんはこれまでの政権と違う主張をしているグループの人でしたが、私と同じ群馬県出身で社会党(元書記長)の山口鶴男さんから「村山を支える意味で官房副長官に残ってほしい」と言われ、そのまま残りました。

 村山さんのバックグラウンドである社会党の左派の人たちは日米安全保障条約を破棄せよ、という主張をしていました。ですが、村山さんは社会党党首としてよりも、日本の総理として決めると言っていました。結果、安保は継続になります。社会党にとっては180度の変更になりますが、そのときの気持ちの切り替えにおいて政権に恋々とするところがなかった。国民全体の立場に立って考えていた村山さんから、人はどう生きるべきかを教えてもらったような気持ちです。