「お祭りドクトリン」が招くこと

 カナダ出身のジャーナリスト、ナオミ・クライン氏は、米国の社会が災害やテロなどのショックに直面したとき、政府が普段できないことをバタバタバタと進める「ショックドクトリン」があることを指摘したが、日本にはお祭り型の復興でいろいろなことを進める「お祭りドクトリン」というべきものがある。

 幻の40年大会は23年の関東大震災からの復興の完成を祝福するイベントとして構想されたし、64年大会は戦後の復興と結びつけられた。2020年大会では、開催都市を決める段階では東日本大震災からの復興を掲げた。災害によるダメージの後、都市や社会をどう変えるかについて徹底的に議論して考えていくのでなく、大きな祭りで復興を軌道に乗せようとずっとやってきた。お祭りドクトリンが内面化している分、日本はそれ以外に社会を変える方法論を身につけてこなかった。

東京五輪は開幕が間近に迫っている(写真:AP/アフロ)
東京五輪は開幕が間近に迫っている(写真:AP/アフロ)

 今回もその姿は変わりがない。高度経済成長を目指していた1960年代のように経済はもう成長しないし社会全体が成熟化すべきフェーズに入っている。にもかかわらず、東京という都市はどこに向かうべきなのかを議論しないまま、もう1回五輪を開催すれば64年大会のような時代になれるのではないかととらえる人が多い。これはまったくの幻想だ。

 今回の五輪は準備段階からさまざまな面でちぐはぐさが目立つ。2020年大会の開催が決まる前に、東京は16年大会に立候補したが、背景には世界都市博が中止になりウオーターフロントの開発が進まなくなった事情もあった。このときにはリオデジャネイロに決まったが、湾岸の再開発を一気に進めるために五輪に手を挙げていた面がある。このため、1964年大会の会場だった国立競技場の建て直しは必要なかったはずで、古い国立競技場を残しておけばよかったし、どうしても必要ならば湾岸につくってもよかった。にもかかわらず、どんどんずれていき64年大会の場所での建て直しが決まった。その後には設計のやり直しも起きている。

 また、エンブレムは盗作ではなかったにしろ当初の案に関していろいろ批判が集中し、つくり直しになった。マラソンコースも変更が起きた。そして、とどめのようにコロナ禍によって苦しめられた。聖火リレーは実際に走らないところも多いし、多くの人がコロナ禍以前に五輪に期待したインバウンドのツーリズムは吹っ飛んだ。国民の支持は64年大会に遠く及ばない。

 開催されればドラマチックなヒーロー、ヒロインに日本中が感動するかもしれない。しかし、歴史的にいえば2020年から21年にかけての日本はほかの国々と同じように、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)という大変な危機に直面した時代として記憶されるだろう。

64年大会の前後で東京は大きく街の様子が変わりました。今回の大会を経て、東京という都市はこれからどう変わっていくでしょうか。

吉見氏:今回の五輪の目標から設定をやり直せるならば、それは64年大会を契機に失ってしまったものをリバイバルさせることだったはずだ。

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