この「弾窓」でトラブルが続出した。特に多かったのが、出張や旅行などの旅先で「弾窓」が出現し、北京に戻って来られなくなる問題だ。そもそも運用管理が不透明で、何が原因で「弾窓」が出ているのか分からないようなケースも多かった。市政府や社区などに解除申請を出しても人手不足のためか対応にも時間がかかる。中には、1カ月以上北京に戻って来られなかった友人もいた。滞在費用は当然自腹だ。文句が出ないはずがない。

 健康コードが防疫以外の目的で悪用される「事件」もあった。22年4月、河南省の一部の銀行で預金が引き出せなくなり、抗議デモが何度も開催された。その後、参加を予定していた抗議者や問題銀行の預金者の健康コードに異常が生じた。監督当局が健康コードを乱用し、コロナを理由にデモを抑え込もうとしたのだ。不正行為が明らかになると、非難の声が殺到した。

 不信感の高まりに加え、経済への影響も大きい「ゼロコロナ政策」に対する不満は若者を中心に限界に達し、ついに抗議デモという形で爆発した。

限界に達したゼロコロナ政策、抗議デモとの因果関係は?

 多数の都市で同時にデモが発生したのが11月下旬、その直後の12月上旬にゼロコロナ解除へと踏み切ったため、「デモが政府を動かした」との声が聞かれた。

 正直、今回の抗議デモとコロナ政策変更の因果関係はよく分からない。多少の影響はあったのかもしれないが、それだけで約3年間も続けた国策をあっさりやめてしまうというのは、私のよく知る中国では考えられない。

 コロナ政策大転換の理由は抗議デモという以上に、感染者数の急増により医療機関や隔離施設が逼迫し、膨大な人的・物的資源を必要とするこれまでのような厳しい防疫政策が維持できなくなったのではないか、と私は考えている。

 規制緩和以前から感染者数は既に急増していた(図表)。実際に、世界保健機関(WHO)も、中国政府が規制緩和に転じるかなり前から感染拡大は進行していたとの見解を示している。

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隔離施設の環境は良かった

 私の勤める対外経済貿易大学で、初めて陽性者が出たのが11月15日。学内では約1万3000人の学生が寮生活を送っており、感染爆発を阻止するために緊急厳戒態勢が敷かれた。多くの教職員が防護服に身を包み、食事の配布やゴミ捨てなど学生たちの身の回りの世話にあたった。数週間学内に泊まり込んで対応した教職員もいた。

 濃厚接触者など感染リスクのある学生は全員、北京郊外の施設に送られ10日以上の隔離生活を余儀なくされた。その数は1000人を超えた。今回の隔離を経験した私の学生は、施設の環境は良好で食事もおいしく寮に戻りたくないと冗談交じりに話した。言い換えれば、それだけのコストがかかっているということになる。

 学内で共同生活を送っている特殊な環境とはいえ、わずか数名の陽性者に対し、これだけの人数を集中隔離しているのだ。同じころ他大学でも感染者が散発しており、市中の高リスク地域も急増していた。これでは施設がどれだけあっても足りるはずがない。

 11月11日の時点で既に隔離期間の短縮などが盛り込まれた緩和措置が発表されていたが、それでも医療機関や隔離施設が対応できなくなり、12月7日のさらなる緩和につながったのではないかと考えられる。

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