中国の湖北省・武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎感染が拡大している。
発生地の武漢から全国各地に急速に広がった主要因が、春節(旧正月)の時期に急激に交通量が高まる「春運」だ。2020年においても約30億人が移動する見込みとなっていた。
一般的に「春運」は、春節前15日、後25日の40日間に起こるラッシュを指す。今年の春節は1月25日だったので、「春運」スタートは1月10日あたりだ。この時点においては、武漢市の新型肺炎の患者数計41名(死亡1名、重症7名、退院2名)と限定的だった(1月11日付「新華網」)。その後、「春運」により全国各地へと広がっていった。
私は02~03年に流行した「重症急性呼吸器症候群(SARS)」も経験しているが、今回の中国政府による対応は当時と比較して迅速かつ大胆だと感じる。
武漢市は23日に公共交通機関の運行を停止し、26日からは許可を得た車両以外の通行を禁止するなど、人の出入りを厳しく制限し事実上の封鎖状態となった。その後、交通封鎖は湖北省のほぼ全域にまで広がった。武漢市の人口は約1100万人、湖北省全体では5900万人を超える。この規模の大都市を封鎖するというのは異例の判断だといえよう。
全国的にも様々な対応措置が矢継ぎ早にとられている。例えば、全ての学校を対象に、新学期開始の延期や帰省している学生の登校禁止などの決定が下された。私の研究室にも6月に卒業を控え修士論文を執筆中の学生がいるが、メールやSNSなどを利用して指導を行う予定にしている。
また中国政府は1月27日、春節の連休を3日間延長すると発表したが、北京や上海、広州など大都市を中心とする多くの地域においては、特定業種以外の一般企業でさらに長い期間を休日とする対策もとられた。
これらは全て、「春運」の後半部分、つまり都市部へのUターンラッシュを最小限に抑える措置である。大都市には大企業だけでなく大学などの教育機関が集中し、「農民工」と呼ばれる出稼ぎ労働者も多く集まる。ウイルスに感染した潜在患者が「春運」で移動し、さらなる大型感染を引き起こせば、都市機能はまひしかねない。
これら一連の措置は、SARSの経験を踏まえた判断だと考えられる。
中国・広東省で最初のSARS症例が報告されたのが02年11月。当初は中国南部が中心だったが、北京などの大都市では、春節(03年2月1日)後に大流行した。
当時私も留学生として北京で生活していたが、大学の校門が封鎖されたのが4月23日だった。多くの市民が食べ物を確保しようと買い占めにはしり、最寄りのスーパーの食品売り場から商品が無くなった光景を目の当たりにしてショックを受けた。
結局、世界保健機関(WHO)がSARSの終息宣言を発表したのは03年7月5日。最初の症例報告から約8カ月に及んだ混乱は、経済活動にも大きな爪痕を残した。
SARSに見る経済への影響
SARSが流行した03年の中国の実質経済成長率は10%に達し、02年の9.1%プラスから加速している。この数値だけ見るとSARSの影響は無かったように見えるが、この頃の経済構造や背景は現在とは全く異なる点に留意が必要だ。
中国がWTOに正式加盟したのが01年12月。03年はまさに中国経済に対する成長期待を背景に、世界からの投資が集まり始めた時期であった。国家統計局によると、03年の対中直接投資は前年比14.5%増の5614億ドルに達し、02年の12.5%増から加速している。公共投資や国内企業の投資も増加した。企業の設備投資を含む固定資産投資の伸び率は、02年の16.9%から03年には27.7%に大幅に伸びた。
実際に、この頃の経済成長モデルは投資主導型であった。03年の経済成長への寄与度を見てみると、実に70%(7%)が資本形成によるもので、消費の寄与度は35.4%(3.6%)にすぎなかった。それが19年には逆転しており、資本形成の31.2%(1.9%)に対し、消費は57.8%(3.5%)に達している。
経済成長率への寄与度
(出所)国家統計局のデータを基に筆者作成
ただし、このデータを見るときには注意が必要だ。国家統計局が公表しているこの「経済成長への消費の寄与度」には「個人消費」と「政府消費(政府支出)」の両方が含まれており、このデータだけで「個人消費」の動向を判断することはできない。
実質ベースではないが、名目ベースで「個人消費」と「政府消費」の実質値を公開しているのでそれを基に推計すると、経済成長への個人消費の寄与度は03年で26.4%(2.69%)、19年で42.3%(2.58%)となっている。
※19年の数値はまだ公表されていないため、過去10年の平均値(個人消費が73.2%、政府消費が26.8%)で代用した。
中国政府が目指す消費主導型への経済成長モデルの転換は着実に進んでおり、個人消費の低迷が経済成長に与えるインパクトは以前より大きくなっている。
それではSARSが流行した03年の個人消費の状況はどうだったのか。国家統計局のデータを見ると、社会消費財小売総額の増加率は、1997年のアジア金融危機後から2008年のリーマン・ショックまで基本的に右肩上がりで伸びてきたが、唯一前年を下回ったのが03年であった。SARSが個人消費の低迷を招いたと考えるのが自然であろう。
社会消費財小売総額と増加率の推移(98年~09年)
(出所)国家統計局のデータを基に筆者作成
個人消費低迷は不可避
新型肺炎の影響で、観光客に人気のスポット「鳥の巣」も閑散としている
今回の新型肺炎の感染拡大により、消費喚起につながる様々なイベントも中止となっており、個人消費の低下は避けられない。
例えば、春節の時期に開催され多くの人でにぎわう「廟会(縁日)」が中止となった。映画館も休館となり、封切りを控えていた「賀歳片(お正月映画)」の公開が延期された。上海ディズニーランドや北京の故宮博物院などの施設も休業を余儀なくされた。
国内外全ての団体旅行も禁止となった。私の住む北京では、いつもこの時期には地方からの観光客でごった返すのだが、観光客に人気の「王府井」や「北京国家体育場(鳥の巣)」も人がまばらだ。
北京の観光スポットの一つ「前門」でバーを経営する私の友人も、「観光客を目当てに春節時期も店を開けたが、今は客がほとんど来ない」と肩を落とす。私個人としても、予定していた食事会やパーティーを全てキャンセルした。飲食業に与える影響も甚大だ。
観光スポットが閑散としている一方、規模の大きな公園には北京市民が多く集まる。10kmのランニングコースを備えたオリンピック森林公園には、マスクを着用したまま走るランナーも多く見られた。市内の室内施設の休業が相次ぎ、どこにも行けず時間を持て余した家族やカップルが、感染リスクが比較的低いと思われる開放的で緑豊かな市民公園に集まっているのかもしれない。
余談だが、日本政府だけでなく、北京と姉妹都市の東京都や、武漢と友好都市の大分市など地方自治体が防護服やマスクなどの支援物資を送り、企業や個人レベルでも寄付が続々と寄せられた。日本国内から相次ぐ支援に、ネット上では中国国民の感謝の声があふれ、私個人に対しても同僚や友人たちから「日本の支援に感謝します」というメッセージを多く頂いた。
「所得倍増計画」にも影響
マクロ経済に対する長期的な影響を判断するのは時期尚早だが、短期的な影響は避けられないだろう。しかし、中国共産党結党100周年を来年に控えた中国にとって、この「短期的」な経済成長が極めて重要となる。
中国政府は「小康社会(ややゆとりのある社会)」を20年までに全面的に実現する目標を掲げている。その具体的内容の一つが、「20年のGDPを10年比で倍増させる」という「所得倍増計画」だ。国家の威信をかけた必達の目標といえよう。
従来であれば20年に6.2%以上の経済成長が必要とみられていたが、19年11月に公表された経済センサス調査を基に過去の値が改定され、5.6%以上の経済成長でこの目標が達成できる見通しとなった。19年の実質経済成長率が6.1%だった実績に鑑みると、この目標は比較的容易に達成できそうだが、今回の新型肺炎の影響により予断を許さない状況になっている。
この危機的困難を乗り越え、「全面的小康社会」を実現できるか。今年は中国経済にとって試練の年となりそうだ。
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