「無理しているな」と分かる顔で面会に行くべからず

川内:それはそうですよ。限界突破した人って、相手からも「無理しているな」と分かるじゃないですか。自分ってどう見えているかな、と考えることってすごく大事です。自分は「相手のため」と思って面会に来ているけど……。

はいはい。険しい顔で来られても。

川内:そう、きつい顔を見せているんだとしたら、本当にそれって相手のためですか? という。だから冷静さを保てている人って、毎日は行かないです。だって毎日行ったらだんだん般若の面のような顔になってしまうし、人間ならばそれで当たり前ですよ。

毎日行っていたら、「自分にはほかにやることがあるのに」と絶対思っちゃいますもんね。

川内:そうそう。そういう人は、「来なくていいんです」と言っても、毎日、食事介助しに来るわけですよ。

何かの当て付けのように。

川内:そんな感じです。とにかく食事介助をして「ああ、これから子どもの食事を作らないと」と、脱兎のごとく帰っていかれるんですが、これはもう、誰のためにもならない。もちろんご自身のためにも。でもそのループに入っちゃうとなかなか気付きづらくなっちゃうんですよね。

いや、私ってまさにそんな感じで田舎の母のところに行ってました。「こんなに忙しいのにホテルまで取って1泊して」なんて、勝手に不機嫌になっている。それを見ている母親はつらそうな顔をしていました。なのに「あーあ、こんなに大変なのに、親は不機嫌な顔をして俺を見てるよ」みたいな受け止め方をして、ひどいスパイラルでした。今思うと本当に誰も幸せにしてないですね。うわあ。

川内:「たくさん面会に行くことがよいこと」「行けば行くほどいい」という、社会的な価値基準があるんですよね。でも、そうじゃないんだなということが分かってくる。努力が成果に結びつく、という、成果主義的な考え方は、介護では徹底的に裏切られるわけですよ。私が老人ホームに勤めていたときも、たくさん面会に来ていた人がいいお顔になっているかというと、全然そんなことないし。

「何分一緒に過ごしたか」なんて、全然関係ない

全然ないんですか。

川内:全然ないです。家族が来るのが年に1回でもニッコニコの人もいるし。面会の頻度と時間が長い方が本人にとっていいんだ、なんて、誰も言っていない。でも、介護する側の気持ちからしたら、発想を変えない限り、そこしか寄りかかる場所がないのかなと思います。

松浦:自分の時間をどれだけささげたか、ですね。自己満足かもしれないけれど、でもそれぐらいしか、「自分がやれることをやった」と感じられる指標が存在しない。だって、悪くなる一方なのだもの。

川内:ですです。

岡崎:今、15分なんですけど、父にささげる時間が。

面会時間ですね。

岡崎:娘と父親って、5分くらいしかしゃべることがないんですよ(笑)。それで帰ってもいいのかもしれないんですけど、「15分、ここにいなきゃ」とか思ってしまうのですが。

なるほど。

川内:帰っていいと思います。いいです。

岡崎:いいんですよね。でも、何かそれができなくて。

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