川内:仕事とかほかのことは何とか頑張ったら頑張っただけ結果が見えるかもしれないけど、介護はそうはいかない。
松浦:介護の一つ一つのプロセスは結局看病と同じなので、つい病気の感覚で見てしまうというのがある。いつかは治って復帰してくる、元気に復帰してくるという前提で見ちゃう。たぶん「介護は家族が見るべきだ」という考え方も、根本的にはそれがあるんじゃないかなと。
そうですね。「病気の家族を見捨てるのか」というのとすごい近しい感じがしますね。
川内:うんうん。
面会にどのくらい行けますか?
川内さん、鰻の例を出されましたけれど、松浦さんはグループホームのお母様に、せっせと運ばれたわけじゃないですか。
川内:運ばれていましたね。
私は2~3カ月に1回、鰻折り詰めを持参するようにした。実家の墓のある寺の近くには、母お気に入りの鰻の名店がある。墓参りに行くたびに、そこで折り詰めを作ってもらい、そのまま夕食のタイミングに合わせてグループホームを訪問する。
折り詰めは母の分1つだけ。ホームの食事は止めず、私は母と向かい合って、母が食べる予定だったホームの食事を食べる。こうすると、日ごろ母がどんなものを食べているかを知ることもできる。
これもなかなか難儀なことで、お店も臨時休業だったり、こっちがうっかりして休業日に墓参りに行ってしまったりということがある。そのために、別途セカンドオピニオン……ではないが、母が元気なころは「ここは2番目だね」と言っていた鰻のお店を確保してあり、そちらの折り詰めを調達する。が、これが母に見抜かれる。そして認知症で自制心が消失している母は情け容赦ない。
2番目のお店の折り詰めを前に「何この鰻、おいしくない」と大声で詰められると、心底がっくりくる。一体何のために一日かけて墓参りに行き、鰻折り詰めを買ってきたのか。墓参りはむしろついでであって、目的は日々「ごはんがまずい」という母になんとかしておいしいと感じる食事を食べさせるためだ。それなのに「まずーい」と言われるのだから「二度と買ってこないぞ」という気分になる。
(『母さん、ごめん。2』38ページより)
あれは頑張りすぎと感じられました?
川内:いや、私は正直、あの内容を拝見して、「もうちょっと適当でいいんじゃないかな」と……。ごめんなさいね。
松浦:いやいや。
川内:松浦さんらしいなと思いながら、正直、何かをやってあげたいという焦燥感を感じはしました。でも、そこはほんのりでも「自分は今、焦っているのかも」と感じられたら十分じゃないでしょうか。あまりうまくやる必要もないんじゃないかなとも思うんです。基本的に、ストレスをかけすぎないように気を抜くことが大事で。
松浦:そうですね。いや、書いてないですけれど、鰻屋に行ったら自分も食っていますからね(笑)。せっかく遠くの名店まで行って、食べないで帰ってたまるか、ということで。
ああ、そうですか(笑)。
川内:だから、いいんですよ。近所のラーメン屋さんという餌をぶら下げて面会に行くんだっていいんですよ。
岡崎杏里さん(以下、岡崎):そういうのがなければ行けないですよね。それでも、行くだけすごいと思う。父がホームに入ったときには、世の中がもう新型コロナ禍の最中だったので、月イチしか会えないのが当たり前だったんですけど、もしコロナじゃなく父が入所していたら、松浦さんみたいに毎週行ったかなと。
いやあ、行かなくていいんじゃないかな(笑)。
岡崎:私、行かないかもしれない。
私、絶対行かないと思います。
松浦:だから毎週行くつもりでいると、まあ、半分ぐらい行けるよというのが実際のところです。結局疲れちゃってどうしようもないから、なかなかそうはいかないです。
逆にご自身が、「別に無理してない、全然楽しい」というんだったら毎週行こうが毎日行こうがかまわない。
川内:そうそう。
ただ、何かチューチュー吸われだしたぞと感じたら、それはもう限界突破しているという。
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