
「介護生活敗戦記」で久しぶりに松浦晋也さんがお書きになった「『母さん、ごめん。』から4年、ついに訪れたこの日」の記事を読まれたでしょうか。
施設に入ったお母さんとコロナ禍でしばらく会えず、久しぶりに顔を見せたら「あんた誰?」と言われ、お仕事に支障を来すまでに落ち込んでしまった松浦さん。
私は「松浦さんでさえも、そう思ってしまうのか……」と、考え込んでしまいました。
松浦さんが自宅での母親の介護体験を赤裸々につづった『母さん、ごめん。』において、認知症になった母親に対して、さまざまな葛藤を抱えながらトライ&エラーを繰り返し、受け入れていく様子が描かれていました。
以前、こちらの連載でも松浦さんと対談をさせていただきましたが(「人生の目的は『親の介護』。それでいいのか。」)、母親の介護によるさまざまな経験から、介護に対して客観的な視点もおありでした。
その松浦さんでさえも(何度もまな板に載せてしまいます、「松浦さん、ごめんなさい。」)、グループホームに入所している母親と、コロナ禍の影響で久々の面会となったとき「あんた誰?」と言われ、ショックを受けているのです。
でも、よく考えればそれが普通の人の正常な反応です。
実際に、自分が相談を受けてきた人の多くが、親に忘れられることへの恐怖や、忘れられた悲しみを打ち明けてくださいました。
というわけで、今回は認知症を患った親を持つ子どもが直面する可能性が高い「親が子どものことを忘れてしまう」という問題について、みなさんと考えていければと思います。
覚悟をしていても、なお
松浦さんは母親が認知症だと宣告されたときから、覚悟していたようですが、実際に「あんた誰?」と言われて、やはり強いショックを受けました。特に一生懸命に親の介護をしてきた方ほど、ダメージを受けてしまう傾向が強いです。
それは親子という関係性ゆえ、当然のこと。
一方で、冷たい言い方ですがどんなに子どもが嘆いても、親の認知症が治るわけではありません。認知症の親からの「あんた誰?」ショックから救ってくれる、いや、救うべき役目を担っているのも介護のプロの仕事だと私は考えています。
どんな状況においても、介護で一番に考えるべきは「認知症の親が穏やかな気持ちであること」。でも、ショックを受けた子どもがすぐに、それを考えることは不可能に近い。
介護のプロは、近くで親のケアをしている立場から、「今の親御さんの様子はこうで、最近はこういう生活を送っている」ということを説明し、家族が「今はそういう状態になっているのか」と理解できるよう力添えします。これによって、「あんた誰?」ショックは少しずつでも緩和されるのです。
私も現場で働いていたとき、認知症を発症した入所者のご家族に“今の状態”を細かくお伝えしていました。松浦さんの記事にも、施設のスタッフから今の母親の様子を聞く場面があり、松浦さんとスタッフとの信頼関係を見ることができます。
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