スタッフは松浦さんのお母さんが、結婚前の実家で暮らしていたころの状態に戻っていることを教えてくれました。それを受けて松浦さんが「意識が少女時代に戻っていたら『子どもなんか産んでいない。結婚なんてしてない』、だから自分が誰か分からないというのももっともだ。」と、少しずつ客観的にものを考えていく様子がうかがえます。
少女時代に戻ることで、今の母親が穏やかな気持ちでいられるのならば、と考えた松浦さんは、母親の当時の話をスタッフに伝えました。スタッフはそれをもとに今後の接し方を考えることができ、お母さんはさらに心穏やかに過ごすことができるはずです。
見事な対応だと思います。
でも
「私が介護しているのに!」
「こんなに心配しているのに!」
「老人ホームの費用は私が支払っているのに!」
「それなのに、自分は子どものことを忘れているなんて!」
と、理不尽に思われる方もいるかもしれません。
気持ちは分かります。でも、認知症の親にその怒りをぶつけたところで、親は「知らない人(本当は子ども)に、なぜ、怒られなければならないのか!?」と不安になり、認知症による症状が強くなってしまうこともあります。
自分が覚えていることが大事。とはいえ……。
39歳で若年性認知症と診断された丹野さんという男性がいらっしゃいます。以前、私が彼の講演を聞いた際に、こんなお話を伺いました。
「僕が友人たちのことを忘れてしまっても、友人たちが僕のことを覚えてくれていればいい。だから、僕は認知症になってみんなを忘れてしまっても怖くない」
私たちでは計り知ることができない混乱やつらさが、丹野さんにはおありだと思います。それでも「周りの人が自分を覚えてくれていることで、自分の記憶の代替えになってもらえる安心感」によって、心穏やかに過ごされていると感じました。
何が言いたいのかというと、認知症の親に自分の記憶を保ってもらうことに固執するよりも、自分が親との記憶を持ち続けていることのほうが大切ではないか、ということです。
それこそが認知症という病気を理解することに繋がり、認知症の人にとって究極の支援につながっていくのです。
よくある話なのですが、認知症の親が施設に入所したあとに「自分のことを忘れられては大変だ」と、面会の頻度を上げる方がいらっしゃいます。
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