ああ、ついにこの日が来たか

 職員の方に「このところ機嫌の良いときと悪いときがあります。今はまあまあですね」と言われて、車椅子に座った母に声をかける。「元気そうだね。来たよ」

 久しぶりに母の肉声を聞いた。
 「あんた誰?」というものだった。

 正直、聞いた時点でのショックはあまりなかった。
 「ああ、ついにこの日が来たか」という、良く言えば客観的で、悪く言えば他人事の感想が湧いた。

 母がアルツハイマー病を発症したときから、いつかこう言われることになるだろうとは覚悟していた。

 最初の兆候に気が付いてから6年10カ月、グループホームに入居してから4年4カ月。
 最初の介護認定が要介護1だった母は、自宅で介護するうちに要介護3になり、グループホーム入居から2年で要介護5となった。もう歩けないし、身の回りのことは食事から排せつに至るまで、すべて周囲に頼らねばならない。その間に3回も入院したし、「これはもうダメかも」と、葬儀社に葬儀の出し方を聞きに行ったこともあった。

 が、私は、母の頑強さをなめていたのだった。

 昔っからことあるごとに「あんたたちが風邪を引いても、私は風邪を引かなかった。母親が倒れると家庭は大変なのだから、あんたたちは私が頑丈であることに感謝しなさい」と威張っていた人だ。「インフルエンザの予防接種なんか受けなくても、インフルエンザなんか、かかったこともない」とも言っていたな。

 その丈夫さは想像を超えていた。

 1年前は、ほとんど話せなくなり、食も細り体重が減少していたものが、2020年の暮れあたりからは回復し始めて、食欲も出て来たのだ。職員の皆さんは「こんなケースは初めてですね」と言い、子どもらは「死に神を退けたか」とほっとしたところだった。

私はセワシくんなのか

 で、元気になってくると今度は「あんた誰?」だ。

 「あなたの息子だよ」と返事すると「子どもなんか産んでない。結婚なんてしてない」と言う。仕方ないのでスマートフォンで亡父の写真を「お父さんだよ」と見せるが、「知らない」と言う。心中、あの世の父に「済まぬ」と手を合わせる。

 そのうちどんどん機嫌が悪くなってくる。「ああもう、疲れて疲れてしょうがないからもう寝るんだ。寝るんだから、おまえ邪魔だ。あっちいけ」と怒る。

 言葉もろくに出なかった間は、まだ私が分かっていたようだったのに。私の顔を見ると笑い、「帰るよ」と言うと手を振っていたのに。

 怒って取り付く島もない母をなだめているうちに、面会時間は過ぎた。「また来るよ」と言って、窓から離れ、ホームの玄関に戻る。そこで職員のOさんと、「こんな感じでした」と話をする。報告会というか反省会というか……一種のデブリーフィングだ。

 Oさんによると、このところ「家に帰らなくちゃ、妹が一人で待っている」というような言葉がよく出るという。どうやら、母の自意識は現在を離れて、記憶の中にある過去を行ったり来たりしているらしい。意識が少女時代に戻っていたら「子どもなんか産んでない。結婚なんてしてない」と言うのももっともだ。

 「あなたの息子だよ」などという私は、『ドラえもん』に出てくるのび太の子孫、セワシくんみたいなものだろう。「あんた誰?」というのも無理はない。

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