2017年に松浦晋也さんの筆になる単行本『母さん、ごめん。』としていったんまとまった本企画「介護生活敗戦記」は、その後、川内潤さん、岡崎杏里さんに連載を引き継いでご好評をいただいております。

 『母さん、ごめん。』で、松浦さんのお母様がグループホームに入居するところで完結してから4年がたちました。

 今回は、今の時点のお母様と松浦さんとのエピソードを書いていただきました。
 唐突な復活となりますが、なぜ書いていただいたのかも含めて、ご一読いただければ幸いです。(担当編集Y)

 自分では「ついに来たか」と思い、想定した範囲内の出来事だと考えていたのだが、予想以上にショックは大きかったようだ。

 この5月、私は仕事の上の失敗をいくつか繰り返した。そのうちのひとつが、日経ビジネス編集Y氏を巻き添えにしたので、私は彼からずばり指摘されたのだった。「松浦さん、お母様の本を書かれる前にも似たことがありました。なにか精神的に参っていませんか」。

 Yさんは言った。
 「書いて吐き出せば、いくらかは楽になるかもしれませんよ」(鬼!)。
 で、私はこの文章を書いている。

コロナ禍の中、久しぶりに母に会いに行く

 今年の5月7日のことだった。私はほぼ1カ月ぶりに母に会いに彼女の入居するグループホームに行った。

 グループホームは自宅から8kmほどのところに位置している。

 新型コロナウイルスによるパンデミックが始まる前、私はほぼ1週間に1回の割合でグループホームに通っていた。8kmというのはバイクで行けばすぐ。自転車で往復することも大してつらくはない。東京にいる弟は1カ月に1回、ドイツ在住の妹は年2 ~3回程度の帰国の度に母のところに顔を出す、というペースで、我々きょうだいは母と面会していた。

 それがパンデミックで崩れた。それまではホームの母の居室で面会できたものが、家族でも建物の中に入れなくなった。面会は窓越しのみ。それも時間と回数をきびしく制限されるようになった。職員の方たちと話をするのも、建物の外である。もちろんマスク必須だ。2020年春以降、私の面会頻度は、1カ月に1回、時にはそれ以上間隔が空くようになった。

 もちろんやむを得ない制限だ。新型コロナ肺炎の集団感染が起きてしまえば、体の弱った老人が多数入居するグループホームなどひとたまりもない。まず間違いなく死者がでるだろう。

 パンデミックが音もなく近づいてきていることは、ホーム側も家族の側もはっきり認識していた。近隣の老人施設でも、主に健康で外出可能な老人が入居するサービス付き高齢者住宅を中心に、複数の集団感染が発生していた。母の入居するグループホームだって、いつ集団感染の修羅が起きるとも限らない。

 5月頭の時点では職員および入居者のワクチン接種の日程が決まったところだった。6月中に3週間間隔で2回。すると免疫が定着するのは7月の半ばということになる。なにかとお世話になっている職員のOさんは面会に当たっての会話で「なんとしても、7月半ばまでがんばってウイルスの侵入を防がなくてはなりません」と、やや緊張した面持ちで話してくれた。

 いや、それ以降だって気は抜けないだろう――Oさんの話を聞きつつ私は考えていた。いかにファイザー・ビオンテックのmRNAワクチンが優秀で95%を超える感染予防効果があるとしても、感染はゼロにはならない。全国民へのワクチン接種が進み、集団免疫が確立して身の回りからウイルスがいなくなるまで、老人施設の臨戦態勢は続くのだ。

 グループホームの裏手に回り、母の居室の窓へと向かう。母への面会は、居室の窓越しだった。窓は断熱性の良い二重窓で、耐火性の高い網入りガラスが入っている。ここしばらくは窓を開けることも禁止だった。そうなると会話は、窓の内と外で大声を張り上げねばならない。もう、母は「大声を出さねば話ができない」というような状況判断ができなくなっている。内側で職員の方がついて、母の話を大声で伝えてくれていた。

 この日は15cmほど開けて会話をしてもよいということになった。もちろんマスクは必須だ。面会時間は15分に制限されている。

続きを読む 2/3 ああ、ついにこの日が来たか

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