コロナ禍でできなくなったことはたくさんあり、それを嘆く声は尽きません。介護のコンサルティングで私(川内)がよく耳にするのは「こんなことになるのならば、親に頻繁に会いに行くべきだった」というもの。
でも、私は
「別にコロナ禍だからって、頻繁に会わなくていいのではないですか?」
「むしろコロナ禍で会えないほうが、上手くいくこともありますよ!」
ということを今回お伝えしたいのです。
新型コロナウイルスの感染症(COVID-19)は、高齢者は重症化する確率が高いといわれており、感染症への心配が、親の老いと向き合う機会になる方も多いと思います。
そして「そういえば、ずっと親の顔を見ていなかった」ことを思い出し、贖罪(しょくざい)意識で「今こそ」と思う、ということではないでしょうか。
その気持ちはよく理解できます。
ただ、高齢者は新型コロナ以外にも、日々の生活の中にたくさんのリスクを抱えています。それでも、自分なりにリスクヘッジをしたり、ご近所さんとの繋がりや、介護サービスなどを利用たりして、それなりのペースで穏やかに生活していることも多いはずです。
そこに、離れて暮らしていた子どもが「テレワークができるから、これからは近くで自分が見守らなければ!」と、急に実家で同居を始めたり、親を呼び寄せたりすれば、生活のバランスはどうしても崩れます。あまりに急激に親子の距離が縮まると、どうしても衝突が起きやすくなります。
介護スタッフに暴言を吐く父親
最近も企業での個別の介護相談で、こんな悩みを聞きました。
認知症の症状が見られるようになった一人暮らしの父親を自宅に呼び寄せて、同居するようになったAさん。
一生懸命に父親に寄り添おうとしているのですが、父親はワガママ放題で、デイサービスの送迎スタッフに「行くわけないだろ、バカヤロー!」と暴言を吐いたりします。「父は理性的で物静か、理不尽なことなど言わぬタイプだったのに、最近は失望させられることばかりなんです」と困惑されていました。
つらい局面です。ですが、ちょっと考えてみましょう。
「以前は理性的で物静か、理不尽なことなど言わぬ父親」というのは社会人としての、父としてのロールプレイだったのかもしれません。認知症により理性が働きづらくなって、本来の、ある意味ワガママな人間だったところが表に出てきた。そういう見方もできます。
皆さんだって、大人になり、いろいろなモノを背負うようになって、言いたいこと、やりたいことを、理性でなんとか抑えているのではないでしょうか。もちろん、私もです。
もっと言えば、「人間の本来の姿は、ワガママなものだ」と私は思っています。Aさんが今見ているのは、その人本来の姿になったお父さんなのかもしれません。
実は、Aさんのような相談は非常に多いのです。「父は理性的な人だった」「母はいつもニコニコ優しい人だった」なのに……というものです。
でも、あなたが知っている親の姿は、親自身が頑張って我慢して演じてきたものかもしれません。年を取り、体力気力も昔のままではない親に、自分たちの抱いてきた、いわば“幻想”をいつまでも演じるように求めるのは、自分にも親にも案外残酷な話ではないでしょうか。
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