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 「治療」とは、 “死”を遠ざける努力、とも言えます。
  “死”を遠ざける努力が「介護」だ、と考えるならば、「深夜にラーメン、ダメ絶対!」ということが正義になるのは当然です。

 ここから先は、いつにも増して本音ベースの話をさせてください。

 「介護状態になったら、死を遠ざける必要がないのか」という、もっともな突っ込みをいただくことは承知で、自分の気持ちを正直に述べるならば「その人らしく生きることを、死の回避よりも優先させてもいい」のが、介護のあり方だろうと思います。

 深夜にラーメン、いいじゃないですか。
 周りに迷惑を掛けないなら、たばこが吸いたいなら吸えばいい。
 法律に反しない限り、施設が対応できる範囲である限り、どんな趣味・嗜好もあり。
 それが私が考える「介護」の理想の姿です。

(もちろん、施設のリソースや介護に掛けられる費用の限界があるので、「利用者の要望は常にかなえられねばならない!」なんてことは言いません。これが私にとっての理想だ、ということです)

「要介護になったら生きていても仕方ない」は本音か?

 私が個別相談の席でよく申し上げることなのですが、介護について迷ったら、こんな質問を自分に投げかけていただくと、とても有効です。

 もし、あなたが、介護される側になったとき、「死んでもいいからやりたいこと」を制止されてまで、“死”を遠ざけてほしいでしょうか?

 少し想像力を働かせてみてください。今は健康で自分の好きなことが好きなときにできていたとしても、要介護状態になったら、そうはいきません。あなたは、人生の終焉にやりたいこともできずに、長生きだけのために、ただ食べて、排せつするだけの日々が続くことに幸せを感じられるでしょうか。

 この質問への、実によくある回答はこのようなものです。

 「要介護状態となり、経済的なアウトプットができなくなったら、もう生きる意味はない。だから、そんな状態になっても文句は言えないし、言ってはいけない」

 一見、合理的で、潔く感じられますね。