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 この“介護的洗脳”にドップリ浸かってしまうと、介護が必要になった親にすべてを依存されても、何の疑問も抱きません。むしろ、よいことをしていると信じています。その結果、親が何も自分でできなくなり、どんどん介護の負担が増えるという負のスパイラルに陥っていきます。

 さらに、介護の怖いところは、「自分は必要とされている」という実感を得られるところにもあります。しかも、やろうと思えば、自分の24時間をすべて介護に投じることが可能です。社会的規範はそれを止めるどころか、後押しします。

 そのため、「最近、会社で期待されていない、家庭も冷たい、友人もいない」と思い込んでいる人にとっては、強烈に自分が必要とされる「介護」が生きがいになり、「介護」だけが自分の居場所になってしまうのです。「必要とされている」という実感が、麻薬のような効果を発揮します。その結果、介護離職をしてしまうこともあります。

 ここまで介護を抱え込むと「大丈夫ではない」と言うことは、自己否定につながってしまうので、「大丈夫」と答えて自身を奮い立たせるしかないのです。

 これでは「介護されている人の気持ち」は完全に置いてきぼりになって、もはや誰のための介護か、分からなくなってしまいます。

 介護中は、介護している人は満たされているかもしれません。しかし、悲しいことに介護には必ず終わりがやってきます。そのときに、介護を生きがいにしてしまっていると、介護が終わったときに、燃え尽きてしまい、うつ病になってしまう方もいるようです。

 そんな最悪の結末を迎えないためにも、仕事はもちろん、介護しながらでも、“自分の居場所”を持ち続けてほしいのです。

介護を続けるには、生活の中心に“置かない”こと

 超高齢化社会を迎えた日本では、時代とともに“介護”のかたちも変わりました。

 人員的にも、時間的にも、もう、家族だけで介護を抱え込むことは困難なのです。そういった時代の移り変わりも受け入れて、「大丈夫ではない」状態なのに、「大丈夫」と言ってしまう“介護的洗脳”からも抜け出しましょう。

 もし、あなたが介護をしているのならば、「まだまだ大丈夫」と思っているときこそ、「本当に大丈夫なのか?」と自らに問いかける、客観的な目を持ち続けて欲しいのです。

 介護には「勝利(要介護者の回復による介護生活の終了)」は、ない。
 そこを正面から認めることが一番つらいのですが、それを認めないと、撤退戦は戦えません。

 だからこそ、「大丈夫ではない」と声を上げてください。