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 自分の父親が認知症になり、ファミリーレストランでお金を払わずに飲食した……。
 思わず胸が痛くなりそうです。そしてこれは、私が介護の現場で出合った実話です。

 今回は、このお父様とご家族のお話をさせてください。

ファミレスでツケでお茶するお父さん

 認知症になられたその方は、戦争で九死に一生を得た経験により、「とにかく生きていることは素晴らしい」という信念をお持ちでした。自らが認知症だということも理解されています。そして、「それでも生きていることは素晴らしい」と考え、楽しく、自由に生きることを貫いていました。

 その方には、ほぼ毎日、フラリと立ち寄るファミリーレストランがありました。

 最初にその店でお茶をしたときに、お金を持っていないので「無銭飲食だ」と、ご家族に連絡が入りました。ご家族はきちんとお金を支払い、父親の病状をお店側に説明します。それが何度も続くと、お店側もだんだんと状況を理解してくれ、その方はとうとう特別に“ツケ”でお茶ができるようになりました。

その方は海も好きなので、やはりお金を持たずに一人で海に向かおうとします。ですが、切符が買えず自動改札で引っ掛かり、駅から家族に連絡が来ます。家族は携帯電話のGPS機能を利用して、駅のほうに向かう父親を見つけると「また、海に向かっているのか。夕方になっても帰ってこなければ、探し始めようか」という具合でした。

 多くの場合、家族は父親の行動をシャットダウンすることに努めるでしょう。それは当然のことだと思います。しかし、この家族は、父親の行動自体は止めず、認めて、その都度対応していきます。「お父さんはそういう人だから」と怒りません。ファミリーレストランや駅員など、迷惑をかけたところには「丁寧に謝って、説明しよう」と、最初から割り切っているのです。

 この話を読まれて、どう思われたでしょうか。
 介護の現場で働く人間としては、このご家族の心のゆとりに正直、感動しました。

 お金を持たずに飲食したり、電車に乗ろうとしてはいけないのは根本的な社会常識であり、モラルです。認知症だから許される、許してほしい、というものではもちろんありません。しかし、それは「平時の価値観」でもあります。

 普通の、平時の価値観をひたすら押し通して、他人に迷惑をかけない、という原則を貫くなら、「認知症の患者は家から出さない」という選択が当然のこととなるでしょう。外に出たいと願うお父様も、その願いを知りつつ家に閉じ込めるご家族も、「生きていることは素晴らしい」と感じることは、難しくなるかもしれません。