優秀な人は限界線が高く、「できる」からこそ戻れなくなる

 ところが、会社員として成功体験を積み上げてきた、肉体、精神、頭脳すべて優秀な人であればあるほど、そういった親の要望に応え続けることが「できてしまう」。気がついたときには親は、あなたなしでは暮らしていけない状態になっているのです。

 仕事ならば、自分が身を粉にしても見返りがあるでしょう。ところが、親の要望に応え続けても、「よくやった」と親が言ってくれるとは限りません。実際はやればやるほど要求はエスカレートします。報われないことと疲労で、貴方の精神はだんだん追い詰められてしまいます。

 そこまでいっても、優秀な人ほど「もっとやれるはずなのに、親の要求に応えられないのは自分が弱いからだ」と、「落とし穴」にさらに落ち込んでいく傾向があります。

 自らの限界に突き当たり、困り果て、ついに親に手をあげたり、介護うつ状態になったり、最悪のケースでは介護殺人が発生する。

 どうしてこんなことになるのか。
 改めて今回考えてみると、日本の社会には、こと介護に関しては、こうした個人の暴走に歯止めをかけるきっかけや、「ここまでやればいい」という上限の共通理解がないのです。

 もっとはっきり言いましょう。
 つまり、介護には「あなたは介護を頑張り過ぎですよ」「それ以上はやらなくていいですよ」ということを教えてくれる社会的システムが存在しないのです。

 状況を理解していただくために露悪的に言います。頑張りに頑張った果てに、警察が介入するような悲劇が起こって、ようやく向こう(社会)が“手を差し伸べてくれる”のです。

自分だけで介護すると、心配して止めてくれる人を失う

 仕事にもそういうブラックな側面はあります。しかし、たいていの場合、上司、同僚、部下といった「人間関係」は存在します。周囲で見ている目があるわけで、「お前、働き過ぎじゃないのか」と声をかけてもらえる機会はあるでしょう。

 介護と似た苦労がある「育児」の場合は、社会の慣習として「妊娠したら届け出を行い、必要な公的支援を受ける」ことがコンセンサスになっています。「妊娠届出書」を自治体に提出することで、「母子手帳」が交付されます。厚生労働省の事業の1つとして、生後4カ月までの乳児がいる全戸に保健師などが訪問し、子育て支援を行うシステムや、「3歳児健診」などで子どもと親の状況を知る機会もあります。

 育児は「社会が自動的に支援する」とまではいかずとも、個人が支援を求めて「手を挙げること」自体に抵抗感は少なく、仕組みもある程度認知されているわけです。介護ではこうした「外部からの支援」を求めて手を挙げることがまだまだ一般化していません。そして、自ら手を挙げない限り支援は得られません。

 誤解していただきたくないので付け加えますが、だからといって「育児は介護よりも支援が手厚い」と決めつけているわけではありません。また、育児支援が現状で十分だと考えているわけでもありません。つい最近も、母親がSOSを発信したにもかかわらず、悲劇が起こってしまいました。

次ページ 親を愛しているからこそ、自分しかできないことに注力しよう