今回は第3回の記事(「貴方が経営者! 介護申請はマネジメント思考で」)のコメント欄にいただいた投稿をもとに、皆さんと一緒に考えていければと思っております。
(今後も皆様からいただいたご意見をもとに、介護について共に考える機会を設けていきたいと思っておりますので、ご意見やご質問などは、Raiseの「“みんなの”介護生活奮戦記」までドシドシお寄せください。連載の進行に合わせてテーマを増やしていく予定ですが、どこに入るか分からない場合は、「[議論]介護の不安、悩みを吐き出してみませんか?」へお寄せください)
もう一度考える。なぜ優秀な会社員ほど罠に落ちるのか
いただいた投稿の内容から改めて考えたいのは、「会社員として優秀な人」こそ陥ってしまう落とし穴について、です。
会社員として優秀な人は、学習意欲も能力もあります。実行力も持っていて、しかも何でも器用にこなせてしまったりする。
こういう方は、初めての体験の「介護」でも、仕事同様、自分の能力を全開にして立ち向かおうとしがちです。
第1回の記事(「会社員として優秀なほど『介護敗戦』に突き進む」)でもお伝えしましたが、例えば「お客様の望みにお応えするのが自分のポリシー」とばかりに、「親が望んでいることをできる限り実現してあげよう」と思うかもしれません。
これまで「お客様のために」頑張れば頑張るほど成果が出る、というビジネスで得た成功体験に加えて、親という自分にとって特別な存在に「育ててもらった恩返しがしたい」という思いも入ってくることでしょう。
最初に触れたテーマを、ここで改めて取り上げたいと思った理由は、前回の記事のコメント欄にいただいたご投稿です。以下は、一部抜粋させていただいたものです。文字などは原文のまま転載しております。
要支援2の母親の介護を始めてから、既に4年半が過ぎた。当初は余りに威張っていて、何でも『頼む』と言うよりは命令調で、子供が親の面倒を見るのは当たり前という感じだった。私は母親介護の為に、妻や近くに住む子供や孫と遠く離れて単身で帰郷し介護を始めた。
<中略>
一年ほど経った時に母親が屋内で転んで筋肉を痛めた時から、三食とも私が担当することに。
<中略>
母の分も一緒にとなると、毎度野菜炒めとはいかないので、ネットでレシピを調べては新しい料理のレパートリーを増やした。おかずだけでなく、ケーキやクッキーなども作るように。今までの経験で感じたことは、もしも介護職に高い給料が払えないなら、介護はロボットに任せるようにしたほうが良い。
<中略>
介護人からの視点で見ると、要介護人は介護されている身にも拘らず、威張っているから腹が立つ。この事が繰り返されると最初は思わず手を上げる事になり、叩くことに抵抗がなくなる。
<中略>
介護レベル決定も、公平を期すためにSIに任せるように変えたほうが良い。『感情』は大切だが、判断規準に大きな影響を与えてしまうから、感情を交えずにSIが質疑応答や対象者の身の動きから判定するのが一番。介護のロボット化も、要介護人がどれほど我儘でも『怒る』事なく、冷静に対応できるから。
<中略>
ロボット研究者や製造者は、介護ロボットをトッププライオリティーで開発して欲しいものだ。
「スキルアップしてプロ並みの介護を自分で」は危険な選択
こちらの投稿からは、投稿された方がお母様に寄り添い、その介護を一生懸命されていることがうかがえます。
それにもかかわらずこの中で、非常に気になった部分がありました。
きっとビジネスパーソンとして優秀であった投稿者の方は、人一倍努力することで、数々の目標を達成されてこられたのでしょう。
「ネットでレシピを調べては新しい料理のレパートリーを増やした。おかずだけでなく、ケーキやクッキーなども作るように。」という部分を拝読しても、その様子をうかがい知ることができます。料理が苦手な私はただただ尊敬してしまいます。
投稿者の方は介護のプロがやるようなこと、いやそれ以上のことをお母様に差し上げているのでしょう。私が非常に危機感を覚えたのは、まさにそこです。
美味しい手料理を、自らお母様に作って差し上げることは素晴らしいことです。
ですが、あえてそこはプロにお願いして、その時間をお母様の介護から離れて自分の時間に充てることで、心の余裕を持っていただきたいのです。
外食が可能であれば、笑顔でお母様とおいしいお料理を一緒に食べにいく、というのはいかがでしょうか。また、お母様が台所に立つことが可能ならば、介護のプロはお母様と一緒に料理を作ろうとするはずです。料理をすることで生活リハビリにつなげることができるからです。出来上がった料理を「おいしいよ。また作ってね。」と笑顔で伝えることも、気持ちの余裕を持って接するからこそできることです。
これこそは、介護のプロでは担うことができない「家族にしかできない介護」です。お母様との貴重な時間を楽しく過ごすことこそ、家族が提供できる最高の介護なのです。
肉親による介護を勧めたくない理由
「子どもは老いた親の面倒をみるもの」という親の考え方に従うケースや、育ててもらった恩を返そうと考えるケースなど、理由はさまざまですが介護する子ども(特に男性に多いようです)が、家事やケアを自らが習得して、プロ顔負けの介護を親にしてあげる。これは、実は大変よくあることです。
もともと「親子関係」には、肉親による介護を肯定する要素が含まれていますし、「家族以外の人や社会に負担をかけたくない」という、実に立派な(皮肉ではありません!)思いでそうされる方も多い。ある意味、社会がそういう行動を後押ししている、と思います。だからこそ、あえてコメントを引用させていただいて「事実」だとご理解いただきながら、何度でも声をあげねばと思いました。
なぜ、肉親による直接的な介護を勧めたくないのか。
ビジネスであれば、必要な知識やスキルを自ら習得していき、成果を挙げ、上司から評価され、出世につながっていくかもしれません。しかし残念ながら、「介護」においては、自らがプロ顔負けのスキルを身に付ければ付けるほど、「敗戦」につながってしまうのです。
理由を述べましょう。ひとつは、親のために自分が家事をしたり、ケアをしたりすることは、実は親がまだ自分でできることや機能向上の機会を奪ってしまっているかもしれないからです。
ヘルパーは「プロだから、手を出さない」
ヘルパーが行うプロの介護が「お手伝いさん」と違うのは、ここです。自分がやれば手っ取り早いとどんなに思っていても、要介護者が自分でできることは自分でしてもらう、と判断し、手を出したい気持ちを抑えるのが、ヘルパーの“矜持”であり、仕事です。
でも、そんな百戦錬磨のヘルパーでも、自分の親に対して、その、いわば「プロの冷徹さ」を保つのは難しい。いや、自分自身を顧みて「無理」だと断言できます。どんなに能力の高い介護関係の人間も、自分の親だけはみてはいけない、というのが私が知るプロたちの間では常識です。
スキルを身につけ、頼めば何でもやってくれる貴方に、親は、老いや死への不安をぶつける形で甘え、関係性を強化しようと、要求がどんどんエスカレートします。臆測ではなく、私が見聞した限り、そうなるケースがほとんどです。
貴方がもし不器用ならば、そして、仕事や趣味を通してでも自分の限界を知る経験をしていたなら、まだ間に合う時点でブレーキをかけられるかもしれません。「もう無理だ」と。
優秀な人は限界線が高く、「できる」からこそ戻れなくなる
ところが、会社員として成功体験を積み上げてきた、肉体、精神、頭脳すべて優秀な人であればあるほど、そういった親の要望に応え続けることが「できてしまう」。気がついたときには親は、あなたなしでは暮らしていけない状態になっているのです。
仕事ならば、自分が身を粉にしても見返りがあるでしょう。ところが、親の要望に応え続けても、「よくやった」と親が言ってくれるとは限りません。実際はやればやるほど要求はエスカレートします。報われないことと疲労で、貴方の精神はだんだん追い詰められてしまいます。
そこまでいっても、優秀な人ほど「もっとやれるはずなのに、親の要求に応えられないのは自分が弱いからだ」と、「落とし穴」にさらに落ち込んでいく傾向があります。
自らの限界に突き当たり、困り果て、ついに親に手をあげたり、介護うつ状態になったり、最悪のケースでは介護殺人が発生する。
どうしてこんなことになるのか。
改めて今回考えてみると、日本の社会には、こと介護に関しては、こうした個人の暴走に歯止めをかけるきっかけや、「ここまでやればいい」という上限の共通理解がないのです。
もっとはっきり言いましょう。
つまり、介護には「あなたは介護を頑張り過ぎですよ」「それ以上はやらなくていいですよ」ということを教えてくれる社会的システムが存在しないのです。
状況を理解していただくために露悪的に言います。頑張りに頑張った果てに、警察が介入するような悲劇が起こって、ようやく向こう(社会)が“手を差し伸べてくれる”のです。
自分だけで介護すると、心配して止めてくれる人を失う
仕事にもそういうブラックな側面はあります。しかし、たいていの場合、上司、同僚、部下といった「人間関係」は存在します。周囲で見ている目があるわけで、「お前、働き過ぎじゃないのか」と声をかけてもらえる機会はあるでしょう。
介護と似た苦労がある「育児」の場合は、社会の慣習として「妊娠したら届け出を行い、必要な公的支援を受ける」ことがコンセンサスになっています。「妊娠届出書」を自治体に提出することで、「母子手帳」が交付されます。厚生労働省の事業の1つとして、生後4カ月までの乳児がいる全戸に保健師などが訪問し、子育て支援を行うシステムや、「3歳児健診」などで子どもと親の状況を知る機会もあります。
育児は「社会が自動的に支援する」とまではいかずとも、個人が支援を求めて「手を挙げること」自体に抵抗感は少なく、仕組みもある程度認知されているわけです。介護ではこうした「外部からの支援」を求めて手を挙げることがまだまだ一般化していません。そして、自ら手を挙げない限り支援は得られません。
誤解していただきたくないので付け加えますが、だからといって「育児は介護よりも支援が手厚い」と決めつけているわけではありません。また、育児支援が現状で十分だと考えているわけでもありません。つい最近も、母親がSOSを発信したにもかかわらず、悲劇が起こってしまいました。
親を愛しているからこそ、自分しかできないことに注力しよう
一部の自治体では、介護保険制度とは別に、高齢者のいるお宅を訪問する事業をしているところもあります。が、その介護をしている家族のことまでサポートする社会的システムはないに等しい状態なのです。自宅でひきこもって親の面倒を見ている子どもは、社会から見えない存在になりがちです。
つまり、「あなたの限界」を教えてくれる人が誰もいない。このため、熱心で能力がある「まだ自分はできる!」「周りの人はもっとやっている!」と介護する人はアクセルを踏み続けることになり、結果として、貴方は疲れ果て、親はあなたがいなければ生きていけない状態に陥ってしまう……。
まず、「介護は、向こうから自分に手を差し伸べてくれる仕組みがない」ことをしっかり理解してください。
そして、有能と自覚されている方ほど「自分からSOSを発信しないと、誰も助けてくれない。止める人はいない」と認識してください。
そして「親の介護は、親を愛しているほど、自分でしかできないことに注力しよう」ということを、理由と合わせて飲み込んでください。
「いざとなったら、どこに向かってどう手を挙げればいいの?」と思われた方もいるでしょう。
この記事へのコメント欄に投稿することも、手を挙げるひとつの行動ですし、私が講師を務める企業内や自治体でのセミナーへの参加も、ある意味で手を挙げるアクションを起こしたことと同じだと思っています。
そして、前回「貴方が経営者! 介護申請はマネジメント思考で」でご紹介した「地域包括支援センター(包括)」にコンタクトを取っていただくことが、最もお勧めです。その後の問題解決がスムーズになるでしょう。介護のプロは目の前の状況を、貴方が決して持つことができない「他人の目」、つまり、客観的な正しい視点で判断してくれます(どのように正しい判断をして、どのような対応をしてくれるかは、次回以降でお伝えします)。
ビジネスパーソンとして、ビジネスの場では常に客観的に、正しい判断を下せる人でも、親のこととなると話は別です。貴方の脳裏には、常に親が元気なころの、親と子という立場で生活していたシーンが再生されます。止めようと思っても「以前はきちんとできたのに、なぜ、今はできないの!?」という思いがあふれ、いら立ちや悲しみがあふれて、状況を客観視できなくなるのです。
第1回の繰り返しになりますけれど、「親の介護」を「経営」に例えて考えるならば、客観的に「正しい判断」をしてくれる介護プロたちと「親の介護」というプロジェクトをタッグを組んで行うことが重要なのです。
自らが客観的に判断できない部分を託す彼らの「マネジメント」こそが、ビジネスで培った力を最大限に発揮すべきところで、決して家事やケアを自らが習得してプロ顔負けの、例えばおむつ替えなどの直接的な介護を親にしてあげることではないのです。
「親はプロ任せで放っておけ」? それは違います!
さて、最後に大事なお話をせねばなりません。
このようなお話をすると、「川内は、親をプロに任せて放っておけ」と言っているかのように誤解されることがあります。
もちろんそんなことは決してありません。
「プロができることはプロに任せて、生まれた余力で、肉親でしかできない心のケアに全力を投入してください」ということをお伝えしたいのです。
例えば、「自分で介護をしないのならば、サービスが充実した有料老人ホームに親を入れることこそが親孝行」と思われる方もいるかもしれません。おカネを惜しまなければ、広々とした清潔な空間、豪華な食事、さまざまなアクティビティー施設などがあるかもしれません。
でも、それはあくまで、知らない誰かがどこかで考えている「親孝行」であり、あなたの親の望んでいるものではない、かもしれないのです。
あなたにとっては「ただ散らかっているように見える部屋」での暮らしが、親にとっては幸せ、ということも実際にはあります。親がその部屋での暮らしを望むにはそれなりの理由があるはずです。
「親にはこうあってもらいたい」という主観的な視点でなく、客観的な視点も取り入れて、親は何が幸せなのか、という目で見ていくことで、親の希望を認めてあげることができ、それがあなただからこそできるオリジナルの「親孝行」につながります。その「客観的な視点」を持つには、そして心から笑顔になるには、心と体の余裕が絶対に必要です。
「あなた」と「親」が笑顔になれる時間が増えれば増えるほど「親の介護」の「経営」はうまくいき、「敗戦」から遠ざかっていく。
そうだとわかっていても、あなたと親が笑顔になれる時間を作ることこそが「介護」では一番難しい。だからこそ、客観的な視点という心の余裕を与えてくれるプロの存在がどうしても必要となるのです。
お分かりいただけなければ、何度でも繰り返し書きますが、私のつたない文章ではご理解いただきにくい箇所もあるかと思います。ぜひ、Raiseの「“みんなの”介護生活奮戦記」まで、疑問や質問、ご自身の悩みもどしどしお寄せください。こんなテーマを知りたい、話したいというご要望もお待ちしています。
この記事はシリーズ「介護生活敗戦記」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?